2007年10月16日

異空間構築は慎むべきか 〜キャラクターと遊び手本人の自由の履き違えへの懸念〜

 『ナイトウィザード2nd Edition』と『シャドゥラン4th Edition
』のページ数がほぼ同じことに隔世の感あり、です。NWってそんなに情報量多い作品でしたっけ?

 今日は自由の話の続き。

 TRPGにおける「自由」とか「何やってもよい」とかいう観念は、TRPGが仮想のキャラクターを操作して楽しむ仮想環境ゲームである性質上、自由である対象がキャラクターにあるのか、遊び手本人にあるのか、明確な違いがあると思います。
 キャラクターのみに許されているはずの自由が、いつの間にか遊び手本人の自由へと逸脱してしまうなんてケースが起こらないとは限らないもので、何かに興じている人間はえてして場の空気に酔いしれて暴走しがちなものです。
 世間では相撲部屋だとか宗教団体なんかが閉鎖的な環境で、法やモラルから逸脱した行為を平然とやらかしてしまう事件が起こっています。程度の差はあれTRPGサークルもロールプレイやファンタジーに浸れる環境だけに、浮かれちゃう人ってのは出てくるし、それがサークル幹部だったりすると、その逸脱した「面白さ」がサークル内に感染して、逸脱した「面白さ」の追求に目が眩んだマッドな集団が出来上がるものです。

 TRPGの会場にモデルガンやナイフ、山○堂の模造武器を持ち込んでくる、プレイヤーにコスプレを強要する、ゲームそっちのけで漫画の回し読みする……なんてのは序の口。最悪だったのが(何度も言ってるけど)対戦格闘ゲームがブームだった際、格闘技の論議がゲーマーとして面白くなっちゃったもんだからサークル内で格闘の真似事に興じちゃい、その面白さを部外者に教えようと技をかけたら「入ってしまい」、怪我させちゃったってなケースもあります。

 このケースの場合、対戦格闘ゲームに影響されて、あの動きをTRPGで再現したい、ロールプレイで格闘家がしたいという欲求がTRPGのシステム、ロールプレイという枠組みでは収まりきれず、遊び手同士が直に拳で語り合える一体感の中でゲームに浸りたい欲求に飛躍してたのではないかと思います。
 格闘技で熱く語り合える同志たちの交友も、コミュニケーションが大きな要素であるTRPGでは大切なことのように思えてくるでしょうし、それに向けてプレイ空間を構築しようと望むのも無理なきこと。
 
 でも、それは獣道ではないでしょうか。
 
 格闘技云々は極端ですけど、例えば『ナイトウィザード』をプレイするにしても、あるプレイヤーがアニメ版に思いっきり影響されて、プレイそっちのけでキモヲタぶりを発揮なされては非常に迷惑なもの。ましてや、それを強要させるような環境になってしまったら異常です。

 横暴で傲岸不遜、人類の守護者でありながら人類を顎で使うことを厭わないあの超女王様が、アニメ準拠だからとかきくたけ設定だかとかではなく、遊び手のTRPGとしての裁量次第で寛大だったり慈悲深かったりと演技の性質が変わるのがTRPGのあるべき自由であって、遊び手本人が原作への熱情を気兼ねなく発奮できる自由ってのはお門違いではないかと僕は考えるわけです。

 いくらTRPGで自由が保障されていても、それは仮想環境中にいるキャラクターが、仮想世界という籠の中で自由に動いていいというだけのもの。遊び手本人が世間のルールや世間体から解放されたわけではなく、浮かれてハメを外すのはやはりDQNの所業として非難されるべきでしょう。
posted by 回転翼 at 09:01 | TrackBack(1) | TRPG雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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[テーマ]TRPGの自由とは?
Excerpt: 議論の発端 卓上RPGを考える: 卓上RPGを「自由」に遊ぶ アーカイブ これに対する反応など 高橋さん 議論のネタとしては適切だったらしい - GOD AND GOLEM, Inc. -annex..
Weblog: きまぐれTRPGニュース
Tracked: 2007-10-24 23:38
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