D4+5の2回攻撃、やりすぎ。D&D脳(笑)
今日はTRPGにおける一本道の話。
一本道と云えばGMの想定したシナリオ展開を外れないセッション形態のことを意味します。迷宮探索がメインだった時代においては入り口と出口が1つずつで、迷宮をくまなく探索する意味がなく、まっすぐ出口に向かえばそれでよしと云うシナリオのことを指していました。
これが物語の追体験がメインとなったここ10年ほどのTRPGでは、物語のプロットが迷宮の変わりになり、GMが構成作家よろしく組み立てたシナリオ展開を遊び手たちはメタの立場から追体験するという遊び方が主流となりました。この段階での一本道とは、物語の構成に分岐がなく、終始1つの価値観で統一されているシナリオのことを指します。
老練なゲーマーは多分前者しか知らないと思います。
『D&D』は価値観が不統一なシステムですし、そのせめぎ合いがトークゲーム(対話のやり取りを対局ゲームとして見立てた遊び)の主題でした。初代は3つ、『AD&D』以降は9つあるアライメントがD&Dの世界を構成していると云ってもよく、アルコンでもデヴィルでも、D&Dの舞台に立つ者はすべて己のアライメントとどう付き合うのかが存在意義です。
そんなD&D時代のトークゲームを知る者からすれば、遊び手の価値観が統一されて当たり前の一本道など容易に想像はつかないでしょう。
だが、この「構成の一本道」は『ナイトウィザード』のような最近の作品に限って登場するものではありません。
構成の一本道の場合、GMは「遊び手がこの場面ではどう考え、どのような行動を起こすか」まで設定します。遊び手もメタ視点ですから、GMの構成に「面白い」という信任を持って、彼の設定に従います。このような形式は『D&D』ようにPCの価値観が不統一になるよう仕組まれたゲームでなれば、どのゲームでも可能です。なべても『サイバーパンク2.0.2.0』や『深淵』のような、作品自体が1つの哲学に基づいてデザインされているゲームにおいては、哲学が遊び手個人の価値観より優先されると云ってもよいでしょう。
『サイバーパンク2.0.2.0』が出てきましたが、このゲームは、
1:スタイルは実像をしのぐ(結果よりも在り様が問われる)
2:態度がすべてだ(誰もが自己を剥き出しにしている)
3:エッジを極めろ(どんなことでもギリギリの真剣勝負)
という哲学を誰もが体現しなくてはならないゲームでして、その哲学の下に個人の価値観があります。極端な言い方をしますが、この哲学に従わない判断をしたPCを、GMは容赦なく切り捨てても構わないのです。その容赦ない世界観の中で、いかに哲学を貫くかがこのゲームにおけるトークゲームの主題と云えましょう。
『サイバーパンク2.0.2.0』はデザイナー側が価値観を提示していますが、GMが自由に価値観を想定してよい(受け入れられるかは別にして)ゲームも多々あります。ぶっちゃけ、価値観など無着手なゲームなどいくらでもあります。
『ナイトウィザード』の場合、表立っては強い価値観を提示していませんが、キャラクター属性の典型に基づいて設計されたウィザードのテンプレートがPC個人の価値観を具体的な形に統一させています。 すなわち、遊び手全体を統一させる価値観には希薄なれど、個々のキャラクターの価値観は一定にできているということです。ハンドアウトによるセッション運営技術に従って運営するのならば、それでも十分構成の一本道が可能となります。
要するに「遊び手がこの場面ではどう考え、どのような行動を起こすか」を規定する「構成の一本道」には、『サイバーパンク2.0.2.0』のように誰であろうと構成を遵守すべきというゲームもあれば、『ナイトウィザード』のように必要な立場に立たされた者が遵守すればよいというゲームもあるということです。さらに、誰でもいいから遵守すればいいというゲームだってあるでしょう。
どのゲームが一本道を遊ぶのにちょうど良いかは好みの差があるでしょう。具体的には「構成の対象が広いほど、GMの期待に応えなきゃならない要素が多い」ということを留意してください。
例えば、『ナイトウィザード』はPC枠とハンドアウトによって、自分がどのタイミングで、どんなテンプレートとして、どのNPCとどう関わるべきなのかを読み取るべきであり、GMも必要な場面までに遊び手に理解させなきゃなりません。そのために遊び手本人同士がメタ視点の立場から協議しても何ら問題ありません。
GMの中には自分がメタゲームをしていることを理解せず、「遊び手がこの場面ではどう考え、どのような行動を起こすか」に関して強い構成を要求するシナリオを書きながら、物語のサプライズを期待してそれらをできる限り秘密にしてしまう人もいます。
そんなシナリオを書くGMが決まって想定するのは「プレイヤーたちが自分のシナリオを推理してくれる」という甘い目算です。そして、その目算の根底には構成作家としての自己愛があります。
タネ明かしをしたくないGMと呼びましょうか。
俗に吟遊詩人GMと呼ばれている方々です。
構成を完璧に実行しようとすれば、遊び手に委譲することが不安になってきます。もし彼が裏切ったらどうしよう…、もし彼女が理解してなかったらどうしよう…、そう悩み続けた挙句、もう全て自己完結しちゃえばよいやと至ってしまうGMが出てきます。
そりゃプレイヤーに伝えて実行させるよりは、自分の口で語った方が正確に構成は実行されますよ。実際それをやっちゃう人も、それこそどこにでもいたものです。超人NPCが全部自分で解決しちゃうアレ。
まぁ、「TRPGシステムを書式にした構成作家きどり」であって、お世辞にもGMではないですな。それでGMだと言い張るのなら、
GM(笑)
とでもしておきます。
世のGMには「遊び手がこの場面ではどう考え、どのような行動を起こすか」にまで考えを巡らしてシナリオを組む場合、プレイヤーとの語り合いの中で、いかにプレイヤーたちが上手にアクトできるように演出指導ができるかということを第一にマスタリングをして下さい。
物語を朗読する楽しみなど、GMという役割の中ではほんの少量に抑えるべき調味料に過ぎないことです。食材に相当するのは遊び手と語り合い、物語を構築するトークゲームにこそあるのですから。




