人気なのです。すぐ卓が埋まってしまいます。
でもまだ暗中模索な状態の中、タビットで戦士キャラをやろうという馬鹿は僕1人でなかったことに喜びを感じました。
今日はこの記事から。
Origin of Complexity(Deck of Many Thingsさん)
きっとアメリカの中高生の間では、two-bladed swordを選んだ子がきちんとGreatswordでpower attackを選択した子にこのスターウォーズかぶれめと馬鹿にされ、セッションでDMの手によって馬鹿を証明させられ苦渋を嘗めているのでしょう。
んで、日本では同じことを大の大人がやるわけです。
僕自身、Two-bladed swordを選ぶ子かGreatswordを選ぶ子かと問われたら、Greatswordを選びます。『D&D』はそれだけ油断ならないゲームであり、最適解で挑まないことには満足に生き残れないことを、何度もHPを0にすることで学習しています。プレイヤーとして席を並べるならば、戦友諸兄にはできる限り最適解できてもらいたいです。
それでも日本人TRPGゲーマーとしての僕は、敢えてTwo-bladed swordを選ぶ子を応援したい。DMとしても、その子を歓迎したいです。
だって夢があるじゃん。
同様に、Two-bladed swordなど最適解ではない武器や魔法、特技や各種設定にもそれを単なるムダと切り捨てるのは忍びない。誰もが判を押したかのようにGreatswordを持ちpower attackを選ぶ環境に何の夢があるのでしょうか。ウォーゲームに先祖帰りなのか、M:tGへの憧憬未だ醒めずなのか。
『D&D』自体がファンタジーの聖典であり、様々なイマジネーションを遊び手に与えてくれるわけだから、最適解でないハズレな武器や魔法を使って、ハズレなPCを使ってずっこけながらもセンス・オブ・ワンダーに溢れたプレイをした方が、膨大な設定を用意したデザイナーたちに報いていると僕は信じたい。
例えWoCのお偉方がM:tGの副産物だとしか考えてなくっても。
そんなに最適解だけ良しとするのなら、ぶ厚いルールブックなど有り難がる必要などどこにありましょう。コミケのカタログみたいに必要箇所だけ破り取って、残りは古紙回収に出すがよろしい。そんでもって、また文庫版にして出せばよろしいのでは。
まぁ、『D&D』の伝道者たちも情報強者ぶりを誇ってヲタク貴族さながらにふんぞり返れる環境じゃないてのは理解できます。結局、データのパズルを読み解いて強キャラ楽しむ遊びを好む人は、何だかんだ云って『アリアンロッドRPG』に流れていると思います。
実際、『D&D3.5e』プレイしてても、そんなデータパズルにこだわるデュエリストな人と出会うことはあまりなく、かつて一時代を築いた『D&D』を温故知新として知りたいという遊び手としては初々しい人にはよく出会います。彼らはファンタジーの原点としての『D&D』に触れたいのであって、伝道者たちが望む一級のウォーゲームとしての『D&D』ではない。その意識のズレが『D&D』の敷居を高くしている一因なのかもしれません。
ムダな遊びを許容できないようではTRPGの多様性ある文化を享受できないでしょうけど、僕が実感する限りでは『D&D』の伝道者たちの間にはムダな遊びを許容できないイライラ感をひしひしと感じるのですよ。真剣勝負ができない欲求不満とでも云いましょうか。
僕は鳥取レベルではそんな最適解が正しいとかじゃなくて、それぞれが楽しめる環境で、ムダもあればずっこけてもいい遊び方をしてても構わないかと思います。真剣勝負がしたい人は好き者同士集まるしかありません。TRPGという文化の中にある狭い嗜好に過ぎないのですから。
『D&D』の伝道者たちは『D&D』を失敗することなく、正しく遊んでもらおうと必死ですけど、その熱意がかえってユーザーの範囲を狭めて業界を萎縮させてはいないかと僕は思うのですよ。
でも、やるかやらないかはともかく、あらゆるTRPGに興味がある人は『D&D』を購入し、その膨大な設定に触れてファンタジーへの想像力をかきたててもらいたいです。実際には『SW2.0』でも『アリアンロッドRPG』でも、あるいはファンタジーではなくとも、『D&D』は物語世界を楽しむ者にとって第一級の手引書なのですから。






