2008年11月22日

「ない」ものと「ある」もの 〜何を飲むのだシリーズ注釈〜

 《禁酒の》誓いを立てて酒、麻薬、カフェイン飲料を絶ったパラディンと仲間たちが喫茶店で歓談する「何を飲むのだ」話もシリーズ化して今回で4回目。今日は折り返し地点ということで今までのまとめに入ります。
 いつもの当Blogらしい話になりますので、笑い話目当ての方はご了承ください。

●「ふぅ…。危うく
 アンデッドと化した牛乳
 を飲まされるところだった…」
パ「不浄なる暗黒の牛乳か…。いくら骨太になってもゾンビが感染するのはいただけないな。いまさら再教育してブラックガード(黒騎士)になるのも面倒だし…」
▲「面倒以前に嫌がれよ」
パ「いや…、高貴なる犠牲によって殉教した牛乳ならばリズン・マーター(蘇った殉教者)となって安心して飲めるロングライフ牛乳に…」
●「…牛乳に何を望むんだよ…」
パ「革袋に入れてる間にレベルアップして、そして10レベルで上方次元界に旅立つころには美味しいセレスチャル・ヨーグルトになっているのだよ」
▲「…何と高貴なる牛乳…。『人生目標はエリシュオンで楽隠居』なんてほざくパラディンにはできないことをやっけのける」
DM「中の人が秩序にして善でないパラディンは辛いな」
パ「中の人などいないっ」


 ファンタジー世界で非カフェインのソフトドリンクを探すのは意外と大変だという記事も今回で4回目。そもそもがファンタジー世界を紹介するが上での常套句である「中世欧州みたいな」を元に、中世欧州での飲物事情を調べているのですが、魔法という便利な技術があったとしてもおいそれとは便利になれない事情ってのがあります。

 まず第一に気候の問題。
 ファンタジーTRPGの舞台はおおむね、イギリス、フランス、ドイツなどのアルプス以北、西岸海洋性気候に属する諸国がモデルになっています。従って、温帯で育つ多くの柑橘類やバナナ、マンゴーなどのトロピカルフルーツの類は自然栽培は困難です。

 第二に衛生面の問題。
 欧州都市部の水利は決して良くなく、生水の飲用は赤痢、コレラ、腸チフスの原因とされ嫌悪されてきました。その辺は現代でもインドや東南アジアなどを旅行する際は水に注意するのと一緒です。衛生状態の悪い都市部では洋の東西を問わず、水売りが近郊で汲まれた水を買っていました。

 そして第三に食習慣の問題。
 食料の保存が干すか塩漬けにするかしかない時代、発酵食品の中でも保存がきく酒類は中世欧州人にとっては大事な栄養源であり、修道士たちがそれこそ生涯をかけてビールやワインを作り、薬草を集めてはリキュールの開発に勤しんでいました。現代よりもずっと酒が必要とされていた時代なのです。
 欧州において禁酒、節酒の思想が芽生えたのはジャガイモなどの救荒作物やスパイスの伝播による食料の増産と、都市の発達によって労働者が増加したことが関係しているのと思われます。賃金によって食料を買い生活する労働者は、ベンジャミン・フランクリンが指摘する通り、給金を酒に費やす者と栄養のある食事に費やす者とでは労働量に差が生じ、賃金も違ってきます。
 紅茶やコーヒーも、こうした都市生活者の間に酒に代わる健康飲料として広まったのです。

◆◆◆

 ファンタジー世界には「ない」ものが「ある」という面白さがあります。それはファンタジーが物語だからであり、「ない」ものが「ある」のは1つの楽しい物語を提供しているからなのです。
 ファンタジー世界では中世欧州では希少だったオレンジジュースが普及していても技術的には問題はないのです。だが、ファンタジー世界の人々がいかに「ない」はずのオレンジジュースを製造し愛飲するようになったかという物語を示さなければ、それは現代人が現代感覚で無造作に書き置いた端書きに過ぎなくなります。
 
 TRPGはイメージと対話ゲームで成り立つゲームですから、遊び手の想像力を強く喚起させる物語が必要なのです。ただ漠然と「ある」だけの存在など物語に取り上げられることもなく、ただ存在だけを記した端書きなど読むほどのことでもありません。
 TRPGは30年以上の伝統があるゲームですが、結局は物語の蓄積が多い作品が生き残っているのです。

 さて、物語世界の中に、「ある」ものと「ない」とが生じる場合、「ない」ものを「ある」とする場合はどのような物語の元で「ある」ことにするのかを考えます。
 大事なのは、「ない」ものは理由もなく「ない」のではなく、「ない」のが常識であり、物語の受け手も常識的に考えれば「ない」方が自然に受け取れる代物だってことです。それを「ある」とするには、「あってもいいじゃん。面白そうだし」と思わせるだけの寓話で常識から離さなければなりません。

 現実世界でも食べ物、飲物の伝播には様々な逸話が生まれます。日本でも醤油の誕生は、唐から径山寺味噌を伝播した僧が紀州湯浅の地で作らせた所、樽の底に溜まった汁が美味しかった所から始まったなんて逸話があります。
 実際にはもっと自然発生的なものだったのでしょうが、生活に変化をもたらす食品の伝播には、人々に好奇心を芽生えさす物語が役立ったのでしょう。

 オレンジジュースにしても、エルフなど自然界の神秘に精通した者たちがいるのだから、彼らの中から南方で自生していたオレンジの芳香に魅せられ、ドルイドの魔法で栽培に成功しジュースを製造している氏族がいるなどと設定を考えればいいのかもしれません。

 そうすれば、ただ漠然と価格表にオレンジジュースと書かれていただけでは浮かばないような物語がシナリオの題材として役立つでしょう。
 エルフに敵対的な魔法使いが精霊の力を悪用して、周囲の気候を寒冷化しようとしている…。このままではオレンジは不作となって収穫祭を行えない…。PCたちは氏族の依頼を受けて魔法使いを倒すために…。

◆◆◆

 ファンタジーで創造力を発揮するために大事なのは、「ない」ものを「ある」ことにするために物語を駆使するのはもちろん、元来「ある」ものを「ない」ものとして無視してはならないことも重要です。
 
 元来「ない」ものを構成する物語はそのファンタジー世界の特異性を現す物語ですが、元来「ある」ものはファンタジー世界でも通用する自然さを現す物語です。
 春には草木が生え動物たちが冬眠から目覚めるのは、現実でもファンタジーでも変わらずに「ある」物語です。そうでないのなら、そうでないなりの物語を考えなければなりません。
 物語を考えることもせず、「季節なんて考えなくていい」などと端折ってしまえば、水着姿で冬山に登ろうが鎧を着込んで灼熱の砂漠を歩こうが何の問題もなくなります。
 もちろんGMの中には端折る人はたくさんいます。だが、僕の経験から言えば端折って物語が面白くなったということはないです。

 「ある」ものを「ない」とする行為は単に説明を省略するのみならず、物語を作ることを放棄させることに繋がります。物語が崩壊すれば、それぞれがご都合主義で勝手な思いつきを放言するか、物語を作ることを止め、早く戦闘をしろダイスを振らせろと喚くかしかしなくなるでしょう。
 
 遊び手たちが物語を分かち合うためには「ある」ものの物語はきちんと設定として盛り込まなくてはなりません。その上で本来「ない」ものがいかにして「ある」のか、その特異性を盛り込むのがTRPGの舞台として使える設定の在り方なのではないでしょうか。

◆◆◆

 そんなわけで、次回からは非カフェインのソフトドリンクで、中世欧州でも飲まれていたであろう飲物を紹介します。


ラベル:TRPG
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2008年11月17日

牛乳もダメだなんて、パラディンは一体何を飲むのだ

 アニメのヒロインが非処女だってので落胆している方がおるそうで。まぁ青春はほろ苦いものです。

◆◆◆

 《禁酒の誓い》を立てたがばかりに久々に酒場ネタ。
 こういうセッションが沢山行われていたのが昔のTRPGなんだよな最近の新参はいきなり世界を救いたがるから困ると、酒、麻薬はおろかカフェイン飲料も摂取できないパラディンと仲間たちは依頼そっちのけで健康的冒険者の道を模索していた…。

 前回オレンジジュースが飲めなかったパラディンが次に頼んだのが牛乳。いかにもヘルスィ志向のアメリカ人が頼みそうな飲物だったのだが…。

DM「喫茶店の若い娘…給仕さんは蒼ざめた顔でこう叫ぶよ…、
 牛乳だなんて、病気にでもなりたいのですか…!
 と」

パ「はい?」
●「牛乳で病気って…。DM、もしかしてこれがシナリオかい?」
▲「邪悪なネクロマンサーが牛に呪いをかけたとか…」

 かくしてようやく重い腰を上げた冒険者一行は情報収集に乗り出し…、

DM「結局、そんな邪悪なウィザードはおりませんでした。街の乳製品は どれも清浄でした」
●「分かったのは、街には牛乳が一滴もないことだ…」
▲「ありえへん。街の連中はこぞって牛乳嫌いか?」
DM「そうだね。《真意看破》の目標値10で判定して」
▲「今度は簡単だな…。成功したよ」
DM「うん。街の人は牛乳なんて飲むものではないと心底感じているよ。君たちのPCも。そして全世界の人間もエルフもドワーフもノームもハーフリングもハーフオークも。ノールですらもね」
●「なんだって! そんなバカな…」
DM「いやだって、ルルブの価格表には牛乳ないし…」
▲「あらホント…」


 牛乳が飲料となったのはここ150年ほどの話です。
 我々が日常的に飲んでいる牛乳は生乳(搾ったままの乳)を加熱殺菌したものですが、その技術が確立するのは1880年、フランスの細菌学者、ルイ・パスツールによる低温殺菌法(パスチャライズ)開発からです。摂氏60度前後で30分加熱するこの技法は当初、ワインの腐敗を止めるために研究された技術です。

 そもそも牛乳は腐敗がしやすい上に脂肪分が分離しやすく、また乳糖が体内に消化しきれずお腹を壊しやすいという性質ゆえに、長く生飲が嫌悪されてきた食品です。それゆえ、西洋では長らくバターやチーズに加工して食べるのが常識でした。
 欧州において牛乳の飲用が始まるのは20世紀に入り、低温殺菌法に加え、鉄道機関の発達や冷蔵庫の発明により、都市住民も新鮮な牛乳が手に入るようになってからです。

 牛を聖なる動物と崇めるインドでは牛乳は神聖な食材であり、神々の食料とされたアムリタや、仏陀が苦行の果てに少女から恵まれた飲物はダヒと呼ばれるヨーグルトであったとも云われています。
 牛乳を煮詰めて冷却し、前日作ったダヒの残りを入れて攪拌して作るダヒを水で薄めたのがインド料理でお馴染みのラッシーです。

 モンゴルでは馬乳が重要な食材であり、子馬を育て終えた母馬の乳を革袋に入れて攪拌し、馬乳酒として飲用しています。馬乳酒はアルコール度数が低く、酒というより食料とされてきました。
 ちなみに、1919年に日本の実業家・三島海雲が内蒙古で出会った馬乳酒を元に脱脂乳を乳酸発酵させてカルシウムを添加した飲料がカルピスです。
 馬乳酒の技法はロシアやコーカサス地方にもあり、彼らは牛乳を革袋にいれ、戸口に吊るして攪拌してケフィールと呼ばれる乳酸飲料を作ってきました。

 ヨーグルトなどの発酵食品が欧州に伝播したのは19世紀末。ロシアの医学者、イリヤ・メニチコフがブルガリアを旅行した際、当地にあった長寿村の秘訣がヨーグルトにあると注目し、健康食として紹介したのが始まりです。

 中世欧州文化を機軸にしたファンタジー世界でも、衛生面の問題から牛乳の飲用は病気の原因として嫌悪され、多くがバターやチーズに加工されているでしょう。遊牧民族風の文化を持つ種族がヨーグルトなどの乳酸飲料を作っている可能性はありますが、蛮族の飲物として市民は同じく嫌悪するかもしれません。

●「結局、牛乳も安全な飲物ではありませんでした、か…」
▲「欧米人は牛乳をガブ飲みしてるイメージあるからなぁ」
パ「またしてもオーダー変更か…」

DM「…すると君たちの前に1人の黒いローブをまとった痩せて青白い男が現れます。彼は牛乳について聞き回っている冒険者がいると聞いて駆けつけたと云います」
●「はい?」
DM「彼はある秘術の研究の協力者を探しているようだ…。彼曰く、素晴らしい滋養飲料である牛乳が腐敗しやすいので嫌悪されているのは惜しいことではないか…。もし秘術の力で腐敗を止められば、人々は牛乳の恩恵を受けられることになり、これを商売とすれば大いなる富が手に入るであろう…」
パ「おお…、素晴らしい発想」
▲「いや…、それはいいんだけど。その黒ずくめの男の職業は…?」

DM「ええ。ウィザードです。
  ネクロマンサーですけどね
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2008年11月13日

オレンジジュースもダメだなんて、パラディンは一体何を飲むのだ

 ただ今西国から帰ってまいりました。
 …寒い。帝都は寒いよっ。

 今日は前回の続き。実は続き物なのだよ。

◆◆◆

 《禁酒の誓い》を立て、アルコール、麻薬はおろかカフェインの摂取すら禁じた高貴なるパラディンと冒険者の一行は、アメリカ人的発想で健康的な依頼生活を満喫すべく喫茶店での依頼交渉に臨んだ。
 コーヒーもダメなパラディンはその席でオレンジジュースを注文…。
 ごくごくありふれた注文かと思いきや、その手の文化史に詳しかったDMはパーティが及びもつかなかった返答をした…」

DM「喫茶店の若い娘…給仕さんは首をかしげてこう言うよ…、
 オレンジって何ですか?
 と」

パ「はい?」
●「オレンジって何かって…、
 この娘さん、ハーフオークちゃうん?
▲「ありえへんやろ。オレンジぐらい知ってて当然…」
DM「そうだな…。君たちのPCがオレンジを知っているかは、《知識:自然》の目標値25で判定しようか」
●「なんだって!? そんなん専門知識レベルじゃないか」
DM「いやだって、ルルブの価格表にはオレンジないし…」
▲「あらホント…」


 そもそもオレンジ自体が中世欧州には存在しません。
 インド・アッサム地方が原産地のオレンジが欧州に伝播したのは15〜16世紀であり、温帯や熱帯の植物ゆえに栽培地も限られています。同じ柑橘類のレモンが欧州では北イタリアが北限であり、オレンジもおそらくアルプス以北での自然栽培は難しいものと思われます。
 そこでオレンジの木をレンガの建物で覆い、南側にガラス窓を配置したのが温室の初期型であるオランジェリーです。このオランジェリーは商業目的ではなく、王侯貴族が贅沢品を確保するための邸宅の1つとして使用されていました。印象派のコレクションで知られるパリのオランジェリー美術館も19世紀にナポレオン3世が建てた屋敷を改装したものです。
 一般にイメージする前面ガラス張りの温室は1820年代、植物学の研究が盛んになった英国にて発明されたものであり、その発明には鉄骨とガラス、さらに湿度を調節できる水蒸気暖房といった産業革命以後の工業製品の登場が必要です。

 中世欧州を機軸としたファンタジー世界では、一部の王侯貴族がオランジェリーを建ててオレンジジュースを飲んでいるかもしれませんが、街の冒険者が喫茶店で飲める代物ではないでしょう。

 仮に地中海性気候の舞台でオレンジが自然栽培されている地方でも、果汁飲料は酸化による味の劣化の問題から、果肉はまずマーマレードにされると思います。
 清涼飲料の大衆化に関しては他の飲物と同様、ルイ・パスツールが登場する19世紀末を待たなくてはなりません。

 オレンジジュースが保存できる清涼飲料となったのは1938年、アメリカのフランク・バヤリー博士による殺菌技法の発見からです。彼の名を取って販売されたのが日本でもお馴染みの「バヤリース・オレンジ」です。
 
 ちなみに『D&D』では『武器・装備ガイド』においてもオレンジは価格表に掲載されていません。パイナップルは贅沢品の欄に1ポンド150gpで掲載されていますが、新大陸が原産のパイナップルが欧州に紹介されたのも15世紀で、実はオレンジとそう変わりがないのです。


●「そんなわけで、喫茶店ごどきがオレンジジュースを出すのは無理でありんした、か…」
▲「そもそも我々が飲んでいるコーヒーだって1ポンド50gpなわけで、1杯10gで1ポンド約450gとして、1杯約11cp…。砂糖や経費も加算して1杯2spは欲しいな」
●「エールが1ガロン飲めるな。10フィート棒も買える」
▲「酒飲んだ方が庶民的だな」
●「そんなわけだから、パラディンはオーダー変更を要求する」

パ「そうだな…、
 ミルクちょうだいっ。ママの母乳でっ
●「なぎら健壱かよ。しかも細かすぎて伝わらないモノマネの…」

 だが、パラディンの注文はまたしても喫茶店を騒然とさせるのであった。もちろん、もちろん、秩序にして善たるパラディンのセクハラ発言は黙殺するとして…。
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2008年11月06日

コーヒーもダメだなんて、パラディンは一体何を飲むのだ

 
 根無し草の放浪ゲーマーになるにはなるだけの生活があるものでして、明日から朝イチで西国行きです。そろそろノートパソコンも欲しいなと思ってる今日この頃です。

 前から興味があった『コーヒーが廻り世界史が廻る』(臼井隆一郎著、中公新書)を書店で見つけたので購入。アラビアのスーフィズムから始まり、コーヒーがいかに欧州市民社会形成に影響を与えてきたかを軽妙に語った面白い小説……っぽい文化史の本です。

 TRPG者としてこの本を読むと、なるほどコーヒーの存在1つでファンタジーの世界が1つ崩れるなと感じます。例えば英国にコーヒーハウスが登場したのはピューリタン革命の頃…。謹厳な清教徒たちはそれまでの飲んだくれな英国人気質を批判し、新たな活動の場として出来たばかりのコーヒーハウスに入り浸るようになります。
 そこでコーヒーは知性を活性化させる飲料として好まれ、コーヒーハウスは人々が活発に談話をする場になり、近代市民社会を生み出す土壌となっていきました。やがてコーヒーハウスは情報を求める商人たちの拠点となり、その中からロイズ保険の創始者であるエドワード・ロイドが出てきました。彼はコーヒーハウスの店主から、貿易船舶に掛かる保険をリストアップした新聞を出して成功しました。

 詳しくは本を読んでもらうとして、もしファンタジー世界にコーヒーが登場していたら、いずれは英国のようにコーヒーハウスに商人などの醒めた活動がしたい民衆が集まり、RPGでよくある「酒場での依頼」もコーヒーハウスで行うようになるかもしれません。

 さて、なぜ忙しい中こんなこぼれ話を書いてるかと云うと、『D&D』3.0版のサプリメント、『高貴なる行いの書』にある特技の中で、《禁酒の誓い》というのがあるのですよ。これは毒や麻薬に対する頑健セーブにプラス修正がつくというものなんですけど…、

 君はアルコール飲料、麻薬、カフェインを絶つという、清浄なる誓いを立てた(斜線部引用)

 …と、コーヒーやお茶、アメリカ人が好きなコーラすら飲めなくなるいかにもアメリカ人らしい発想の特技なのです。
 では一部の高貴なるパラディンは《禁酒の誓い》を立ててコーヒーすら飲めないとします。このパラディンは依頼を受ける席で一体どういう飲物を注文するのでしょうか…。
 多分アメリカ人の考えることと云えば…、

DM「…そんなわけで、君たちは酒場で商人の娘から依頼を…」
●「いや、ちょっと若い娘さんが酒場に行くのは危険じゃない?」
▲「そうだな。ウチのパーティにはパラディンもいるし、ここは喫茶店に席を移そう」
●「喫茶店なんかファンタジーにあったっけ?」
▲「トーチ・ポート(『D&D』日本版オリジナル設定の街)には甘味屋があるんだから、喫茶店あってもいいだろ」

DM「それでは場所は喫茶店…」
●「店のマスターにコーヒーを注文するよ」
パ「あいや待たれよ。拙者は《禁酒の誓い》を立てていてな…。酒はおろかカフェイン飲料も禁物なのだよ」
▲「んじゃ、何飲めばいいのかい?」

パ「そうだな…、
  オレンジジュースを1杯いただこうか…

ラベル:TRPG D&D
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2008年10月30日

商品自主回収騒動の余波、TRPG業界にも?

 29日にイエローサブマリン新宿店に行ったら、新作コーナーの棚に『異界戦記カオスフレアSecond Chapter』のサプリメント、『ラピスフィロソフォルム』が発売延期になる告知が掲載されていました。告知によるとバーコードエラーがあったので自主回収されたとのこと。
 発売元いである新紀元社のサイトを始め、ソースがないので確実な情報ではないのですけど、まぁ気長に待ちましょう。

 昨今は経済界隈が歴史的な混乱ぶりです。今日は持ち直しましたが記録的な円高で、戦々恐々の日々を送られている方も多くおられることでしょう。
 TRPG者としてはドル安は海外TRPGを買う機会なわけで、D&D好きだけどエロくはない僕はエロさを求めてD20関連の洋書を現在物色中です。 DACん時、オススメを聞いておけばよかったです。
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2008年10月28日

なぜ「なぜ冒険に出たか」設定をする必要があるのだろう

 夏コミの時、列で並んだ人と夏期放映アニメの話題で盛り上がったのですが、その時は『ストライクウィッチーズ』が一番受けるという僕の意見はどちらかと云えば珍説扱いでした。
 それが第1巻初回DVDが売り上げ1万を超えた(アニメDVDで1万は大ヒット)とかで、いやはなんとも。

 今日は相変わらずのまとめをしていないノートで、MWGに必要ない物語設定の意義についてです。

◆◆◆

 TRPGのキャラクターにはそれぞれ、物語の登場人物めいた設定がつけられます。キャラクターは単なる能力値の集合体でも、バトルゲームをするための駒でもないと、多くのTRPGが物語の登場人物にふさわしいキャラになるよう設定付けをすることを勧めています。
 
 これはTRPGが歓談によって物語を体験できるよう……『D&D』なら『指輪物語』をモチーフに、剣と魔法のファンタジー世界で戦士や魔法使いとなり、迷宮に潜って怪物を退治するゲームならば、指輪が好きでゲームを楽しむ人なら自分があたかも指輪の登場人物になったかのような心地をゲーム上で味わいたいはず……ゲームメディア(表現の場としてのゲーム)の役割を提示するためにあります。
 
 物語設定をするということは、TRPGは純一的なゲームプレイではない、物語を楽しむためにしばしターンを止め、おしゃべりをすることを奨励しているということです。
 物語設定の多くが、生まれや幼少時の境遇、目や髪の色、性格などMWGの駒としては不要なデータで成り立っています。然るにTRPGをMWGと同質に、とかく戦闘の勝敗こそが全てなのだと信じる人にとっては邪魔としか思えないでしょう。ムダな要素であり、そんなものに時間を割くヒマがあるなら早く戦闘すべしと思っていることでしょう。
 だが、『D&D』以来30年以上が経ち、様々なTRPG作品が出る中で物語設定は扱う物語世界に比例するようにボリュームを増す一方であり、ターンとダイスに支配されていない領域にかける時間も多くなっています。現在ではMWGはMWGであり、TRPGでは歓談の意義はMWGと同等以上であり、本来するべきゲーム活動から逸脱していると見なす人は僅かであると云えましょう。
 そして物語世界が進歩していくにつれ、物語を楽しみたいという要望は単にゲーム世界をネタに意見交換をしたいというだけではなく、演劇のようにキャラクターの視点で物語世界に投影して体感をしたいという参加意識へと発展していきました。
 この段階で、TRPGは単なるゲーム活動では理解できない演劇のようなごっこ遊びのような不思議な形態の活動になっていったのです。多くの場合、この不思議なおしゃべりを以てロールプレイと称しています。

 物語設定はそうしたロールプレイのために必要なイメージを浮かべるために行う通過儀礼であるとも云えます。ファンタジーを現実逃避と表現しますけど、空想のエンタメである物語を物語と受け止める気でないと楽しめる余地はありません。

 そのコンセプトを体現するものとして『D&D』のアラインメントが、ゲームを物語と受け入れるために設定されたルールとして意義ある存在であると僕は考えています。
 
 TRPGが純一的なMWGであるならば、味方であるプレイヤーは全員が二心なく結託するのが当然です。しかし物語であるならば物語の登場人物として物語らしい複雑な人間関係が存在したほうがエンタメとして楽しめます。
 アラインメントはキャラクターの物語上での価値観を分別することにより、TRPGを単なる勝利追求のゲームから、立場の食い違いを演出するエンタメへと進化させるのに大きな役割があったものかと思われます。


 今日はここまで。
ラベル:TRPG
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2008年10月20日

来年は越境参加でないように 〜DAC2008に参加しました〜

 もう先週のことになりまりましたが、10月11日と12日の2日間、日本最大の『D&D』オンリーCON、DAC2008に参加してきました。当日参加を匂わしていた友人がダメだったので単身参加でしたが、1日目はゼンドリック防衛卓、2日目はフリーセッション卓で思う存分D&Dを堪能してきました。
 セッション及び懇親会にてお世話になった皆様にあつく御礼申し上げます。

 今年は仕事の都合で深夜バスを使っての越境参加となり、大変疲れました。今回のようなことは異例とは云え、やはり30代ともなると週1回が気力的に限度なようです。

 ちなみにゼンドリック防衛線は村民999人のうち生存者は403名。冒険者は34人中12名が露と消え、いしかわ氏が「少ねぇ〜な〜」とボヤいてました。勘弁してくだせぇ。もうスケルトン30体×2を3人で引き受けるのはご免です。

 さて、来月はどんなTRPGをしましょうか。
 また西国に用事ができましたし……。とほほ。

 
ラベル:TRPG DAC2008
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2008年10月06日

フリーセッション・コンベンションを往くGMの心得

 先月28日、TRPG文華館主催の『大江戸RPGアヤカシ』オンリーCONに参加してきました。アヤカシはおろか、元の『ナイトメア・ハンター・ディープ』も未体験だったので不安はありましたが、システムが分かりやすく、世界観を表現するデータの運用方法が秀逸だったので思いの外自在に動けて、うまく遊べたかと存じます。
 GM及び卓仲間の皆様にあつく御礼申し上げます。

 んで、その一週間後である10月5日には早くもGMでセッション。GM不足により急遽名乗りを上げたわけだが、プレイヤーの皆様に助けられ、なんとか初GMで遊びきることができました。
 こちらも、プレイヤーの皆様方にあつく御礼申し上げます。

 今回のコラムはこの記事から、僕が心がけているコンベンションGMの心得についてです。

 GMの準備(2D6で1さん)

◆◆◆

 コンベンションではシナリオを作成することのみがGMの事前準備ではありません。
 いわゆるフリーセッション形式のコンベンションではどんなゲームが持ち込まれるか分からないので、『ソード・ワールド』や『アリアンロッドRPG』のような携帯に便利で、高い確率で卓が立つゲームしか持ち込まない参加者が多くいます。何も持ち込まず、ダイスと筆記用具だけの手弁当でやってくる人すらいます。何種類もゲームを持ち込むのは非常な労苦なのだし、なによりもそんな何種類も買い込んでる遊び手などごく少数です。
 結果として、GM以外は誰もルールブックを持参していない卓が立つことなどざらであるわけで、それを見越していないと思わぬ手間を仲間に強いることになります。
 
 事前準備に余念がない人ならば、シナリオ作成以外にもルールサマリーや各種データ……プレイヤーがじっくり吟味することが予測される呪文や特殊能力、技能などのデータは用意しておきたい……をパンフレットとして作成し、ルールブック不足の事態に備えておきます。熱意のあるGMならば、コピーではなくわざわざリライトしてパンフレットを自作するほどです。

 扱うゲームが発売されて間もなかったり、そんなに有名でなかったり、昔のゲームであるならば、ルールブック不足どころか全員初プレイという事態も当然のように起こります。それもこの機会に新しいゲームをプレイしたいという期待度の高い遊び手が集まるものです。

 このような事態では、GMは単なるシナリオ運営だけではなく、ルールの解説からゲームの持ち味を伝えるプレゼンテイターとしての役目も要求されます。むしろ、プレイ時間の半分はそちらの方に割かれるのが実情です。
 いくら北井戸が高いとはいえ、海のものとも山のものともつかぬ見知らぬゲームを相手に、容易にロールプレイをこなせる人などそうそういません。GMは彼らに全体目標やキャラクターの行動指針を演出し、彼らがロールプレイを行えるように道を指し示さなくてはなりません。

 さらにアフターセッションも意外と重要です。プレイヤー各位とディスカッションをすることによって、シナリオを介してではなく、遊び手本人同士がゲームについて思う所を語り合い、ゲームの充実度を補填させることができます。
 良きシナリオを体験し、よきロールプレイをしただけでは本当に満足できるイベントになったわけではありません。遊び手本人がよきイベントに参加したのだという充実感を味わえなければ、ホストとしては力量不足なのです。
 もし時間に余裕があるならば、単にセッションの反省をするだけではなく、広くTRPGの動向や各人の経験、その他思う所あれば何でも語り合えば、プレイヤーたちに単なるセッション経験を越えたよき人生経験を与えることすらできることでしょう。

 TRPGイベントにはMMORPGや各種ネットメディアのような気軽に参加できない難しさがあります。慣れない場所で見知らぬ人と顔を合わせる度胸がいりますし、休日を平日並みに早起きして億劫な肉体を会場に運ぶ気力もいります。
 だからこそ、その足労に見合う以上の有意義な体験を提供するよう努力することは、ゲームを楽しみたいと欲するGMの良心であると思っています。そしてその良心は、プレイヤーの満足した笑顔で十分報われます。
 
 もちろんGMとても有志のボランティアだし、満足した準備もできないままセッションを請け負うこともあります。コンベンションに参加するプレイヤーとGMの間にあるのは、ほんのちょっとの人の良さだけです。十分な経験がありながら、事前準備が億劫でプレイヤーに回る遊び手などいくらでもいるし、責められることではありません。
 ただ、GM不足でこのままでは遊べない参加者も出てくるだろうなという事態に、親切心のみで急ごしらえのセッションをしつらえるGMが未熟であろうとも、準備不足を露呈しようとも、それを許せない人は心が狭い。でも、それを指摘しても始まりません。

 事前準備もままならず、完全無欠なプレゼンテーションができるほど超越した才能もない場合、セッションを成功させる残された手段は真心を尽くしてプレイヤーたちと手を携えるしかないと思います。自分が裁定者、超越者でありプレイヤーをコントロールしようという作家願望やプライドは捨て、むしろ自分もGMの立場に立って初心者体験をしているのだと思った方が円滑にプレイできます。
 最終的に、GMとプレイヤーが主客の垣根を超えて1つの物語を共同制作し、楽しむ・楽しませるの立場の違いを克服することができれば、イベントでの不平不満は最小限に留められるかと存じます。 

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2008年09月25日

シーフを軽戦士にするな

 昔の新和(TSR)版D&Dと、昨今のHJ(WoC)版D&Dとでは1つ違う所があります。
 それはDMとして「戦闘を回避して目標を達成する」という選択を用意しているかしてないかということです。罠を解除しモンスターをやり過ごしては隠された財宝を探す新和版D&Dとは違い、HJ版D&D者は正面きってのMWGを当然のごとく仕掛けてきます。

 新和版D&Dではモンスター相手に戦わずして勝つことに十分な意義がありました。財宝の量こそが経験点であり、モンスター経験点はゴミに等しかったからです。だが、MWGに重点をおいた3版そして3.5版のD&Dは倒したモンスターの脅威度に応じて経験点を得るので、戦闘を回避するという選択肢はゲーム目標に反することになります。
 
 僕は新和版D&D者でしたから、HJ版D&Dをプレイする際には戸惑いを隠せない場面がしばしばあります。そんなに戦闘に入れ込むなら、いっそ物語なんか省いてDDM(D&Dミニチュアゲーム)にすればいいのではとも思うけど、見せかけの物語はまだ完全に捨てられずにはいるようです。

 思えば、昨今日本で盛んにプレイされているHJ版D&D、ソード・ワールド2.0、アリアンロッドRPGの3作は戦闘を回避しないTRPGです。倒したモンスターで経験点が入るD&D、ドロップ品・戦利品と全ての戦闘に大きな実利があるSW2.0とARA…。
 この3作を見れば、昨今のファンタジーTRPGはまさに戦闘全盛の時代と云えるかもしれません。迷宮キングダムも戦闘で荒稼ぎが基本です。
 他のファンタジーTRPGでも物語のクライマックスおよびアクセントとして戦闘を組み込むのが通例です。

 …ここまではよくある戦闘偏重への批判です。
 ここで注意しなければならないのは、批判する対象を「正面きってのガチ戦闘」に絞らず、広く戦闘そのものに求めてしまうことです。

 そうでないと、一足飛びに「戦闘がまったくないTRPG」を代案として用意するTRPG者が決まって出てくるからです。最近では『りゅうたま』が顕著ですけど、戦闘を重視しないシステムのゲームを指摘したり、戦闘システムを用いず歓談や対話ゲームのみで楽しむテクニックを指摘したりと、とにかく戦闘そのものを除外したTRPGで戦闘嫌いもすべて解決と論ずる人にどれだけ出会ったことであろうか…。

 そうではないのです。

 戦闘はあって結構。
 だが、戦闘をせずとも実利を得られる手段があるTRPGがしたいのです。あるいは、正面きって斬り合わずとも、計略を用いて戦わずして勝てるTRPGがしたいのです。

 例えばARAのドロップ品でも、装備品の類は戦って強奪以外でも、例えば寝込みを忍び込んで盗むとか、言葉巧みに取引をして頂戴するとか色々アイディアは発揮されてしかるべきだと思います。

 新和版D&Dでもアイディア勝負のシーフが一番楽しかった僕としては、戦闘を回避して目標を達成するTRPGが1つはほしいのですよ。テクニックではなく、デザインとして盛り込まれたTRPGが。
 そうでないと、シーフは限りなく軽戦士化してしまいますから。
 
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2008年09月22日

テイルズ課金でCRPGが失うもの

 『テイルズ オブ ヴェスペリア』が経験値を販売することについて、ネット界隈では賛否両論があったようです。TRPG者として言及するならば、金をかけても時間をかけても両者ともに同じ展開である以上、その手段をとやかく言っても仕方がない。CRPGの成長システムを見つめ直すいい機会ではないかと思います。

 実の所、CRPG愛好者にCRPGの成長システムを問い質すことには一抹の躊躇がありました。彼らは一様に多大な苦労を経験しているからです。
 誰でも時間をかければクリアできるCRPGはともすれば、成功が確約されたゲームとも云えます。だが、その確約が実現するまでには膨大な時間を単調で実入りの少ない経験値稼ぎに費やさなくてはならないわけで、その苦労は技量が向上するまでひたすらトライ&エラーを繰り返すアクションゲームの苦労と比較しても、決して卑下するものではありません。
 アクションゲームは達成感を得るためのストレスに、失敗による挫折や無力感が用意されていますが、CRPGも達成感のためにストレスが用意されているのは同じで、こちらは単調で実入りの少ない作業による苛立ちと徒労感があります。
 その苛立ちと徒労感を乗り越え、苦労を達成感へと昇華させた苦労人に対して賞賛することはあれ、その意義を問い質すことなどゲーマーとしての良心が許しません。
 
 でも、その苦労は金と等価になってしまいました。
 テイルズの経験値販売は、いわゆるアイテム課金と違って出資した者としない者との間に格差が生ずる物ではありません。両者ともに同じ展開のゲームをプレイします。そのための道程が、時間をかけるか金を投じるかの差というだけです。
 この問題が波紋を呼んだのは、金と時間が等価になったことではないのです。CRPGに費やす時間は多大な苦労が伴っていたわけで、その苦労と金が等価になったことが波紋の原因なのです。 

 CRPG愛好者は今までの苦労が金で買える時代になったことへの憤りがあります。だが、それ以上に遊び手自身の技量で勝負し課金による成長ができないアクションゲーム愛好者よりも、一歩位が下がったことが、CRPG愛好者にとっては痛いのかもしれません。

 CRPGもソリティア(1人遊び)ですけど、誰もが身近にあるコンシューマーゲームの場合、ゲームのクリア実績は友達同士の間ではちょっとしたステータスになり得ます。 
 ゲーマー同士でリスペクトを得ようとするなら、それは技量の高い所を見せ付けるか、誰もが納得できる正当な苦労を重ねるかして目標を達成したかを誇示するのが筋です。CRPGの場合は苦労の方ですけど、金で代替できるものをリスペクトする人はどれだけいるでしょうか。
 
 そのうち、CRPGをクリアしたことが何の自慢にもならなくなる日がくるのかもしれません。お前金払ってクリアしたんだろだせ〜なと、残酷な子供社会ではいじめのネタになるかもと懸念されたり、と。
 あるいはよりビジュアルノベルに近い存在になり、誰もが小説やアニメを語るがごとく、クリアの実績よりも物語の評論を以てリスペクトを得ようとする世界になるかもしれません。
 
 でも、それってより一層マニア向けになるってことです。
 子供社会は単純に「俺このゲームクリアしたんだぜ」「スゲー」の世界ですからね。その枠組みから外れることがどれだけ市場の幅を狭めることになろうか…。

 TRPGに限らずRPGは成長が共通したテーマになっています。
 経験値を稼ぎ成長していくシステムが、主人公が経験を積んで試練を乗り越える物語に合致し、物語の主人公と遊び手が共に成長する過程を楽しむゲームとしてRPGは支持されてきました。
 それが、遊び手は苦労せずとも課金で解決ともなればRPGに入れ込む理由が失せてしまうわけですが、まぁ主人公の方も最初から厨二設定な俺様TSUEEEEE! 的なキャラならお似合いなのでしょうか。
 遊び手は苦労知らず、主人公も厨二英雄だとしたらTRPG者である僕としてはこれ良きビジュアルノベルであると評するわけです。

 それでいいのかは、僕には分かりません。
 今はまだ課金システム自体が一部のコアゲーマーの間だけのものですけど、今後このシステムが定着するかどうか、市場の観察は注意深く行うつもりです。

◆◆◆

参考記事

経験値を廃止してもよいTRPGもある 〜成長の意義あれこれ〜
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2008年09月15日

TRPGにおけるシステムとルールの違い

 TRPGにおいて「システム」と「ルール」が用語として曖昧に用いられているので、またしてもノートとして定義しておきます。今回は別箇の意味にしてありますので、混合して用いている場合においては論外とさせていただきます。

◆◆◆

 TRPGには、「遊び方」と「楽しみ方」とが別箇に存在します。
 遊び方は遊び手自身が遊ぶための道具の使い方、楽しみ方とはTRPGを通して仲間と良き交流をするための作法と云った所でしょうか。そして、遊び方を記したのがシステム、楽しみ方を記したのがルールです。

 TRPGにおけるシステムは、ゲームを遊ぶための道具の使用法ですが、他のパーティゲームと同じく複数人が参加することを前提で作られているので、1人で遊ぶことはできません。また、複数のプレイヤーと1人のGMという遊戯形式を取っているTRPGでは、双方に別箇のシステムが用意されます。
 TRPGが提供する遊びは時としてマニュアルに記載されたシステムのみでは対応しきれない場面があるので、遊び手はゲーム仲間の承認の下にカスタマイズ、ローカライズをすることが可能です。その一方で、卓(TRPGを楽しむ一組の単位)の中では全員が共通のシステムを使うことが求められます。

 TRPGでデザインと云えば、もっぱらシステムを制作する作業を指します。システムは該当するTRPGを遊ぶ際、遊び手に関わらず共通の遊びをさせるために設計されます。

 TRPGにおけるルールとは、TRPGというゲーム活動が健全かつ安定した遊びを提供する、社会活動しての娯楽を守るためのマナーです。マナーゆえにゲーム活動の枠組みを越えた社会活動のあり方など、人間感情の機微に触れた内容もあるが、遊び手はよくルールをわきまえ、遊び手同士がよき信頼関係を結べるよう努力するよう求められます。
 
 TRPGでは基本的にルールを決めることはデザインの範疇外とされます。なぜなら、ルールひいてはマナーは、各卓ごとのコンセンサスの下に実行されるべきだからです。最低限としてシステムの遵守と、ゲーム活動の権限や領分はゴールデン・ルールとして定められるが、細かいルールは遊び手同士の合意にもとずく判断が優先されます。
 
ラベル:TRPG
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2008年09月08日

アーンソンのプレイリポートから 〜TRPGにおけるデザインとしての戦闘と、テクニックとしての物語〜

 『GAME JAPAN』2008年6月号に掲載されたG・ガイギャックスのコラム『ウォーゲームにおける剣と魔法』(発表:1974年 訳:桂令夫)によると、G・ガイギャックスがは『D&D』の基盤となる『Chain Mail(略してCM)』をファンタジーではなく、中世風歴史物MWGを目指して設計したことを窺わせる記述があります。

 『チェインメイル』の中世風ルールの開発は、1969年初頭に開始された。1971年に発売された際にはこれにファンタジー版サプリメントが付いていた。中世ヨーロッパというのは比較的人気のある時代設定であり、『チェインメイル』のルールはプレイアブルでリアリスティック、これはいける……はずだったのだがしかし、フタをあけてみると購入者の10分の9はファンタジー要素のほうに惹かれるに至った。(斜線部引用)

 そもそも、ガイギャックスのグループがCMを制作したのは、中世風MWG『グレート・キングダム』を1人1キャラで遊ぶためにあったと僕は推察しています(僕はCMの実物を確認していないので、多摩豊氏の『次世代RPGはこうなる!』に準拠しています)。現在のTRPGはおろか、D&Dのプレイ形式すら当初は想定していなかったのでしょう。
 
 だが、おまけに過ぎなかったファンタジー版サプリに人気が集中し、その中からガイギャックスとは別のグループにいた「本物のファンタジーバカ」D・アーンソンがサプリを改良して初めてのキャンペーンを行い、そのプレイリポートが起爆剤となってD&Dのプレイ形式が始まりました。

 TRPGは本来MWGを1人1キャラで遊ぶために設計されたものであり、販路をサブカル層に拡大するためにファンタジー物語の登場人物構図をTRPGのキャラクター構図に当てはめたのではないかというのがTRPGの設計経緯に関する僕の推察ですが、このガイギャックスの記事を読んだ感じでは当たらずとも遠からじってところです。

 今までの考察から察する通り、僕自身もTRPGは1人1キャラのMWGが本質であり、TRPGはファンタジー物語の構図だけは搭載されているが、物語を作り出す創作活動そのものは本来の設計思想の中に織り込まれていないと考えています。
 TRPGで物語調のシナリオを作り、皆で歓談をしながら物語を作るゲーミングの作業は、あくまでも幕間に行われた余興として発展したものであり、TRPGは物語創作を目的として作られたゲームではない…。
 
 実の所、僕がTRPGの戦闘を語る時はこうした推察から、戦闘システムと物語を別次元の存在と位置づけて語っていました。
 だが、アーンソンのプレイリポートから発展したTRPGの物語はやがて『ドラゴンランス戦記』など小説の題材としてマルチメディア化し、ゲームの本質とは裏腹にTRPGはゲームと物語が一体化した遊びとして定着していきます。それが当然の認識としてTRPGを知る人にとって、TRPGの本質は物語再生装置であり、戦闘の方が物語を演出する余興であると位置づけするでしょう。
 そこら辺の認識違いで、温度差や食い違いが生じることは十分予測されます。

 D&DやT&Tなどの古式TRPGを愛好するTRPG者には、ダンジョン探索のみに集中し物語は添え物程度と考えるダンジョンハッカーな人が多くいます。逆にTRPGは物語再生装置だと考える人の中には、物語を創作する対話ゲームこそが本質であって、戦闘はなくてもよいという人もいます。
 その両方が1つの方向性としてアリなんですけど、多くの人は1人1キャラのMWGも楽しいし、物語の対話ゲームも面白いからどっちがあってもよく、難しいこと抜きにしてそんなごった煮な遊びがTRPGなのだと感じているのでしょう。

 TRPGをウォーゲーム主体で捉えている僕は、CMからD&Dに移行するまでのデザイン変遷を推察することによって、TRPGにとってウォーゲームが設計思想の段階でいかに密接な関係にあるかを示す試みをしました。
 TRPGは物語が主体だと考えてる人、あるいはTRPGと物語をごったにしている人は、はたしてあなたたちが主題としている物語と、それを執り行う対話ゲームがTRPGの設計思想に十分組み込まれているのか、今一度再考してほしいのです。

 あなたたちはデザインの話題をしているのか。
 それともテクニックの話題をしているのか…。

 肝心なのは、デザインとはただ利用することを目的に使用する一般ユーザーにも作る目的に沿った使い方をさせるためにあるのに対し、テクニックは使用意図に賛同した者のみが使用する余技であるということです。
 僕はまだ物語や対話ゲームはデザインではなく、テクニックの領域にあると思っています。そういうことが好きな人が使えばよいという程度のもので、下手であっても問題なく遊べるのならデザインの領域ではないでしょう。
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2008年09月04日

今はいずこかも知れぬ「先輩」へ 〜コラム活動5周年〜

 ここ2ヶ月ほど、TRPG系Blog界隈の動向に背を向けるようにミニチュア・ウォーゲーム(MWG)からTRPGに移行する経路を推察し、さらに8月に入ってからはBlogそのものを放置して思索を重ねてきました。
 
 TRPG系Blogとは云え、このBlogはオフライン環境を前提とした伝統派であり、オンラインでのチャットTRPGを専門としているブロガーも数多くいる界隈の中ではいささか古めかしい立場にあります。
 さらに、仲間とは定期的に集えない自身の経緯からコンベンションでの活動を主体に話を展開しているのですが、コンベンションを渡り歩く一放浪者がBlog活動をしているのはTRPG界隈でも稀なケースなのかもしれません。
 だから、誰のために記事を書くのかという明確な相手がいないという点に於いて、普通のTRPG系Blogより難儀と云えます。自らの欲求と思索からしか、記事を書く動機がないのですから。

 まぁ、孤独、孤立はなるべくしてなったものだと理解し、むしろ気楽に構えるべきだと心得てはいます。僕自身、新しいゲームを遊ぶこと、違う人と遊ぶことを好んでいるので、実際はそんな深刻なことでもないのでしょう。

 そんなわけで、今日は気まぐれな思い出話。
 実は先月で、ScoopsRPGに初めて投稿をしてから、現在のHNでのコラム活動5周年を達成しました。当Blogをご覧になっている皆様方にはあつく御礼申し上げるとともに、これからもよろしくお願いいたします。

◆◆◆

 昔、僕が高校時代に所属していたサークルに「先輩」と呼ばれる人がいました。いつも例会が終わる頃に顔を出し、サークル幹部衆の歓迎を受けていた人でした。
 当時の僕は、外来者がキャンペーンをする幹部衆の邪魔にならないよう集めておく隔離卓のGMを請け負っていて、外来者の方々と仲良くやっていました。

 それが「先輩」の気に障ったのか知らないけど、ある日の例会終了後、打ち上げの宴席に招かれた僕は「先輩」から説教を食らうことになりました。
 正直、一緒にプレイしたどころか、プレイしている光景を見たこともない人から後輩扱いされるのは存外ですが、僕をサークルに誘ってくれた幹部やサークル代表まで、幹部衆がそろって頭を下げる人だったので敬意を払わざるをえませんでした。

 その先輩曰く、キミはこの界隈に入ったばかりだから、TRPGを何でもできる素晴らしいゲームで、TRPGのゲーマーは何でも相談できる素晴らしい友人だと思っているだろう…。
 でも、それはキミがこの業界のことに無知だからに過ぎない。
 無知だからゲームの無限を信じれるし、フロンティアでもいられる。でも実際は我々が遊んだ通りに真似をしているに過ぎず、キミの先輩にはなれても友達にはなるつもりはない…。

 要するに、いい気になるな、と。

 この「先輩」とはその後1度プレイを共にしたのですが、とりたてて印象に残るプレイをしたとは云いがたく、TRPG者としての思い出を何1つ残すことなく、ただ仕事の愚痴とガンダムの批評話だけには旺盛だったという印象以外すっぱり忘れてしまいました。

 だが、彼が若い僕に語った言葉だけは今でも憶えています。
 こういう人間を実力で叩き落していかないと、心置きなく遊べる環境は得られないぞという苦い思いと共に…。

 まぁ、その後頻繁にプレイに誘っては「すげぇ…! こんなカッコイイロールプレイができるもんだな」と唸らせるだけの人に出会って信服してしまい、彼とはリタイアするまで懇意にしていたのでさほどひねくれたゲーマーに育たずに済んだのですが…。

 リタイアもあれば復帰もあり、現在のHNでコラム活動を始めてもう5年が過ぎ、その間にも多くの出会いと別れがあって、現在は都内のコンベンションを渡り歩く身の上…。年齢もあの「先輩」に近くなりました。

 結果、出来上がったのは永遠の初心者でした。
 前世紀のTRPGを知らない若い人たちとプレイしてても、自分たちの真似をしているとも、友達になる気はないとも思いません。自分から見てはるかに青く未熟な遊び手のプレイにも心躍らされるし、平気で頭を下げられます。
 つーか、あれだけ散々「もうこの業界は終わった」と絶望したゲームを未だ続けられることが正直嬉しくて仕方がない。自分が見捨ててた間も辛抱強く受け継いでくれたことに感謝したいのです。

 その喜びに比べたら、小集団相手に先輩面してお山の大将を気取れる楽しさなどゴミに等しい。そこで満足してタコ壷に入っていたなら、回転翼というブロガーはいなかったでしょう。せいぜい、後輩たちの離脱とともにゲーム活動を「卒業」し、それっきりでしょう。

 その「先輩」が現在もゲーム活動をしているかは不明です。
 彼自身は年齢からTRPGの黎明期を体感した世代であり、熟練ゲーマーたちに頭を下げさせる経験と貫禄はあったのでしょう。だが、1人のゲーマーとして善良であっても、組織の重鎮としては自らの影響力を誇示するばかりの「得体の知れないOB」でした。
 彼の目には、現在のTRPGはどのように映っているのでしょうか。

 そして、自分が今プレイできる幸せを楽しんでいるTRPGは幻想なのでしょうか。それとも確信できる何かがあるのでしょうか…。

 分かりません。
 ただ、果てしない可能性と無際限の夢を与えてくれる素晴らしい道具だとの思いは今も持ち続けています。「先輩」の言葉は今もTRPGが与えてくれる喜びが何物なのか、僕に問いかけ続けています。


 
ラベル:TRPG
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2008年08月24日

なぜTRPGがプレイヤー間対立ではないのか

 どうもお久しぶり。
 まさか20日以上も記事を書かずに遊び呆けるとは思ってもいませんでした。近場ですが旅に出たし、コミケでも存分に遊びました。おかげで夜は眠くて眠くて、執筆する気が起こりませんでした。
 
 そんなわけで、今日もTRPGのメカニズムについて考察。
 こういう記事ってのは地味なのであまり人気は出ないんですよね。
 人目を引く記事ってのは不安と狂気を煽り立てるのが手っ取り早いわけでして、そうなるといかに業界の危機を煽動するか、さもなくば自分はいかにエキセントリックかをアピールするかなんですよね。
 まぁ、それをやるには近頃の僕は無難でダメなわけでして。

◆◆◆

 TRPGは複数人のプレイヤーvs1人のGMというゲームとしては奇妙な形式を採用しています。しかも、運営役も兼ねたGMは対立者というより試練を与える教導者であり、遊び手本人同士は全員が協調しているというゲームらしからぬ構図をしています。

 この構図からTRPGのゲームとしての特性を見出せず、TRPGはゲーム活動ではない何かなのではないかと考える人もいることでしょう。

 僕は先月、ミニチュア・ウォーゲーム(略してMWG)からTRPGに移行する間に起きたゲーム要素の変化を何度か推察してきました。そこでTRPGはMWGを1人1キャラで遊びたいという動機から、徐々にゲームバランスを取るべく整えられたシステムだというのが今までの推察です。

 だが、この推察だけでは現在の「多人数プレイヤーvsGM1人」の構図が定着した原因を特定するまでには至りません。元のMWGがプレイヤー間対立というゲーム本来の構図であることを考えれば、TRPGは単にMWGを1人1キャラで遊ぶために改造しただけのゲームではないと云えるデザイン思想の変化があったのではないのでしょうか。

 そして、変化がなければTRPGは現在のTRPGの姿をしていなかった可能性もあります。

 MWGを1人1キャラで遊ぼうという時点で、TRPGは現在とは違うゲームに進化する可能性がありました。
 1人1キャラでは死ねばゲームオーバーですが、MWGと同じ運営方法で行われているTRPGでは脱落でしかありません。プレイヤー側が全滅するまでプレイは続行されます。
 ここで「誰が最後まで生き残るか」がゲーム目標になっていたら、TRPGは違ったゲームになっていたかもしれません。あるいは、バトルの対立構図をマルチゲームのようにPC間対立にすれば、より早い時期に『ルーンバウンド』と同様のゲームになっていかもしれません。

 だが、ガイギャックスらのグループはあくまでも対局の構図にこだわりました。さらにモンスター側をGM1人に専任させ、プレイヤー側が共闘する現在の構図を堅持しました。もしMWGとしてバランスを取りたいのであれば、モンスター側にも同数のプレイヤーを割いて互角の人数による対局にしたでしょう。

 なぜガイギャックスらがゲームの対立構図をプレイヤー間対立ではなく、「多人数プレイヤーvsGM1人」の構図にしたかは、彼らが思想的基盤にしていた『指輪物語』が影響していたのではと僕は考えています。ガイギャックスらはゲームの販路を当時『指輪物語』に傾倒していた米国サブカル層に求めたわけですが、彼らにゲームを体感させるためには、指輪と同じような「旅の仲間」の構図にする必要がありました。
 
 販路が従来通りMWGゲーマーのみであったなら、ゲームとしての対立構図を明確にして彼らの競争欲を煽り立てたでしょう。だが、物語を体感したいサブカル層にことさら競争を煽るのは逆効果です。なぜなら、元々は繋がりが薄いサブカル層がコミュニティに集って求めるのは気軽に打ち解ける「同志」であり、対戦に勝ち抜き自らを誇示するゲーマーとしての意図は持ち合わせていないからです。
 
 販路をサブカル層に移したことで、TRPGは交友を促進するツールとしての機能が求められ、その結果現在の構図が生まれたのではないでしょうか。だとしたら、「多人数プレイヤーvsGM1人」の構図にゲーム特性が見出せないのも当然です。ゲームのための構図ではなく、交友を促進するために作られた構図なのですから。

 さて、色々な変遷を経てTRPGはバトルゲームとして独立し、『指輪物語』とともに発展していきました。それとともに、TRPGキャラの物語的意義も膨らむようになり、いつからは定かではないがシナリオが登場し物語世界を語り合うプレイスタイルが定着していきました。

 なぜTRPGに物語がついたかについてはまだ未推察なのですが、おそらくゲームとしてではなく、思想的基盤として用いた『指輪物語』の影響があるかと思います。ゲームの一要素として物語を取り入れたいというのではなく、『指輪物語』みたいなファンタジー物語を語り合いたいという要望が根源にあったかもしれません。
 もしTRPGがプレイヤー間対立の構図であったなら、プレイヤー同士は勝利するべく腹の探りあいをし、仲間同士打ち解けて物語を語り合う環境にはならなかったかと思います。

 『D&D』を取り巻く環境も、指輪が主でTRPGが従だったのでしょう。『D&Dエキスパートルール(通称青箱)』によってMWGから物語再現装置への道を進むことになりました。

 今日はここまで。
ラベル:TRPG 指輪物語
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2008年07月31日

軽戦士に戦理はあるのか

 東京では『ウォーハンマー』がよくプレイされています。
 『アリアンロッドRPG』、『ソード・ワールド2.0』に次いで3番目に卓が立つファンタジーTRPGではないでしょうか。この3作に『六門世界RPG』辺りが次点にきて、他は毎度のプレイは期待できません。
 システムが分かりやすいってのもあるけど、あの特濃な世界観でよく受けたなと思います。

◆◆◆

 過去3記事で、TRPGがMWGから派生する間にいかなるデザインの変遷があったのかを推察してきましたが、これはTRPGが『D&D』以来30年以上、戦闘システムの基幹をターン制と対抗判定という『Chain Mail』以来の伝統的なスタイルを継承する理由を解題するためにありました。
 そして、この執筆にあたって僕は1つの仮説を立てていました。
 すなわち、TRPGの戦闘システムが不変なのは、それがTRPGのゲーム形式そのものに起因しており、MWGから遊び方を移行していく中で遊び手の立場や欲求に適応していった結果なのだからではないか、と。

 もしこの仮説が正しければ、ちょっとした小手先の変化ぐらいではTRPGの戦闘システムは変化しないことになります。そして、推察は仮説を肯定する方向で進みました。

 TRPGの基幹である「1人1キャラのプレイヤー数人と、モンスターを一手に引き受けるGM1人」の構図自体が、「プレイヤーは自駒の保全がゲーム目標と化し、そのために連携して各個撃退を始める」という展開を生み、不均衡な構図を互角にするために「連携するプレイヤー集団vs強力なモンスター単体」の戦闘に落ち着くわけです。

 もちろん、構図が同じであれば戦法も鉄則が生まれます。

 まず、PC側は何ラウンドも悠長に戦える余裕がありません。
 相手も高い数値修正を持っているので防御判定も確実ではなく、毎ラウンド深刻なダメージを受け続けるのが常です。持久戦は不利な相手なので、速効で最大攻撃力を叩き込むことが求められます。

 そのためにダメージの高い両手武器を装備し、特技などもダメージを増加させる物に特化されます。防御判定がアテにならないので、回避を期待せずACとHPの高さで凌ぐしかありません。そのため、高いACを持てる……硬い鎧を着れるクラスが前衛として不可欠になります。

 すなわち、対ドラゴン戦……TRPGで最も完成度の高い戦闘場面では片手剣などの中途半端な性能の武器や盾、格闘家や軽戦士など大したダメージを与えられないクラスなどは役立たずになる恐れがあるということです。
 これらの高機動力、高い回避能力、多彩な技能を誇る装備やクラスは互角以下のモンスター数体を各個撃退する「見せ場戦闘」にこそ威力を発揮するものと云えましょう。威力と云ってもイニシアチブを取るため程度で、いくら先制攻撃しようが機械的に対応するモンスター相手では電撃戦の意義はまるでありません。素早さの代償として低ダメージの武器しか与えられない軽戦士のやることなど先制してモンスターの頬をはたく程度のことです。
 実の所、後衛の支援が会えば前衛が鈍重でも何ら問題なく、例え先制できなくても敵が来るのをのんびり待てば問題ありません。重戦士は支援ある限り揺るがない優位を保てるTRPGで最も安定性の高いキャラなのです。
 本当、TRPGにおいて軽戦士の類は単に上級者向けというより戦理に合わないクラスと云えましょう。 それに成長でも重戦士は能力強化に加えて装備でも充実してくるけど、軽装備にこだわる軽戦士は大した装備が持てなくてどんどん先細りしていきます。

 第一、固定値であるACとダイス目修正の回避能力が天秤にかけられるってのがおかしいわけで、出目次第でご破算になる回避能力よりは、運がいくらなくとも適応されるACの方が確実にキャラを保全させる力があります。

 それでも懲りずに設定され続けているのは、口だけの世界では軽戦士必勝法がどこかにあるってことなんでしょうか。現場じゃとんとお目にかかりませんけど。
 
 それでも、んじゃ軽戦士いらないって云うのも夢がありません。

 重戦士でいくことが戦理である現在の戦闘システムを改善するのが根本的な解決策ですけど、それにはキャラクターの保全がゲーム目標であるTRPGの仕組みそのものに手を加える必要があるかと思います。
 
 今日はここまで。


【関連記事】

夢世界の双刃剣、現実世界の巨剣 〜TRPGにおけるデータの有為無為とムダ〜
 
ラベル:TRPG
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