2008年09月15日

TRPGにおけるシステムとルールの違い

 TRPGにおいて「システム」と「ルール」が用語として曖昧に用いられているので、またしてもノートとして定義しておきます。今回は別箇の意味にしてありますので、混合して用いている場合においては論外とさせていただきます。

◆◆◆

 TRPGには、「遊び方」と「楽しみ方」とが別箇に存在します。
 遊び方は遊び手自身が遊ぶための道具の使い方、楽しみ方とはTRPGを通して仲間と良き交流をするための作法と云った所でしょうか。そして、遊び方を記したのがシステム、楽しみ方を記したのがルールです。

 TRPGにおけるシステムは、ゲームを遊ぶための道具の使用法ですが、他のパーティゲームと同じく複数人が参加することを前提で作られているので、1人で遊ぶことはできません。また、複数のプレイヤーと1人のGMという遊戯形式を取っているTRPGでは、双方に別箇のシステムが用意されます。
 TRPGが提供する遊びは時としてマニュアルに記載されたシステムのみでは対応しきれない場面があるので、遊び手はゲーム仲間の承認の下にカスタマイズローカライズをすることが可能です。その一方で、卓(TRPGを楽しむ一組の単位)の中では全員が共通のシステムを使うことが求められます。

 TRPGでデザインと云えば、もっぱらシステムを制作する作業を指します。システムは該当するTRPGを遊ぶ際、遊び手に関わらず共通の遊びをさせるために設計されます。

 TRPGにおけるルールとは、TRPGというゲーム活動が健全かつ安定した遊びを提供する、社会活動しての娯楽を守るためのマナーです。マナーゆえにゲーム活動の枠組みを越えた社会活動のあり方など、人間感情の機微に触れた内容もあるが、遊び手はよくルールをわきまえ、遊び手同士がよき信頼関係を結べるよう努力するよう求められます。
 
 TRPGでは基本的にルールを決めることはデザインの範疇外とされます。なぜなら、ルールひいてはマナーは、各卓ごとのコンセンサスの下に実行されるべきだからです。最低限としてシステムの遵守と、ゲーム活動の権限や領分はゴールデン・ルールとして定められるが、細かいルールは遊び手同士の合意にもとずく判断が優先されます。
 
タグ:TRPG
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2008年09月08日

アーンソンのプレイリポートから 〜TRPGにおけるデザインとしての戦闘と、テクニックとしての物語〜

 『GAME JAPAN』2008年6月号に掲載されたG・ガイギャックスのコラム『ウォーゲームにおける剣と魔法』(発表:1974年 訳:桂令夫)によると、G・ガイギャックスがは『D&D』の基盤となる『Chain Mail(略してCM)』をファンタジーではなく、中世風歴史物MWGを目指して設計したことを窺わせる記述があります。

 『チェインメイル』の中世風ルールの開発は、1969年初頭に開始された。1971年に発売された際にはこれにファンタジー版サプリメントが付いていた。中世ヨーロッパというのは比較的人気のある時代設定であり、『チェインメイル』のルールはプレイアブルでリアリスティック、これはいける……はずだったのだがしかし、フタをあけてみると購入者の10分の9はファンタジー要素のほうに惹かれるに至った。(斜線部引用)

 そもそも、ガイギャックスのグループがCMを制作したのは、中世風MWG『グレート・キングダム』を1人1キャラで遊ぶためにあったと僕は推察しています(僕はCMの実物を確認していないので、多摩豊氏の『次世代RPGはこうなる!』に準拠しています)。現在のTRPGはおろか、D&Dのプレイ形式すら当初は想定していなかったのでしょう。
 
 だが、おまけに過ぎなかったファンタジー版サプリに人気が集中し、その中からガイギャックスとは別のグループにいた「本物のファンタジーバカ」D・アーンソンがサプリを改良して初めてのキャンペーンを行い、そのプレイリポートが起爆剤となってD&Dのプレイ形式が始まりました。

 TRPGは本来MWGを1人1キャラで遊ぶために設計されたものであり、販路をサブカル層に拡大するためにファンタジー物語の登場人物構図をTRPGのキャラクター構図に当てはめたのではないかというのがTRPGの設計経緯に関する僕の推察ですが、このガイギャックスの記事を読んだ感じでは当たらずとも遠からじってところです。

 今までの考察から察する通り、僕自身もTRPGは1人1キャラのMWGが本質であり、TRPGはファンタジー物語の構図だけは搭載されているが、物語を作り出す創作活動そのものは本来の設計思想の中に織り込まれていないと考えています。
 TRPGで物語調のシナリオを作り、皆で歓談をしながら物語を作るゲーミングの作業は、あくまでも幕間に行われた余興として発展したものであり、TRPGは物語創作を目的として作られたゲームではない…。
 
 実の所、僕がTRPGの戦闘を語る時はこうした推察から、戦闘システムと物語を別次元の存在と位置づけて語っていました。
 だが、アーンソンのプレイリポートから発展したTRPGの物語はやがて『ドラゴンランス戦記』など小説の題材としてマルチメディア化し、ゲームの本質とは裏腹にTRPGはゲームと物語が一体化した遊びとして定着していきます。それが当然の認識としてTRPGを知る人にとって、TRPGの本質は物語再生装置であり、戦闘の方が物語を演出する余興であると位置づけするでしょう。
 そこら辺の認識違いで、温度差や食い違いが生じることは十分予測されます。

 D&DやT&Tなどの古式TRPGを愛好するTRPG者には、ダンジョン探索のみに集中し物語は添え物程度と考えるダンジョンハッカーな人が多くいます。逆にTRPGは物語再生装置だと考える人の中には、物語を創作する対話ゲームこそが本質であって、戦闘はなくてもよいという人もいます。
 その両方が1つの方向性としてアリなんですけど、多くの人は1人1キャラのMWGも楽しいし、物語の対話ゲームも面白いからどっちがあってもよく、難しいこと抜きにしてそんなごった煮な遊びがTRPGなのだと感じているのでしょう。

 TRPGをウォーゲーム主体で捉えている僕は、CMからD&Dに移行するまでのデザイン変遷を推察することによって、TRPGにとってウォーゲームが設計思想の段階でいかに密接な関係にあるかを示す試みをしました。
 TRPGは物語が主体だと考えてる人、あるいはTRPGと物語をごったにしている人は、はたしてあなたたちが主題としている物語と、それを執り行う対話ゲームがTRPGの設計思想に十分組み込まれているのか、今一度再考してほしいのです。

 あなたたちはデザインの話題をしているのか。
 それともテクニックの話題をしているのか…。

 肝心なのは、デザインとはただ利用することを目的に使用する一般ユーザーにも作る目的に沿った使い方をさせるためにあるのに対し、テクニックは使用意図に賛同した者のみが使用する余技であるということです。
 僕はまだ物語や対話ゲームはデザインではなく、テクニックの領域にあると思っています。そういうことが好きな人が使えばよいという程度のもので、下手であっても問題なく遊べるのならデザインの領域ではないでしょう。
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2008年09月04日

今はいずこかも知れぬ「先輩」へ 〜コラム活動5周年〜

 ここ2ヶ月ほど、TRPG系Blog界隈の動向に背を向けるようにミニチュア・ウォーゲーム(MWG)からTRPGに移行する経路を推察し、さらに8月に入ってからはBlogそのものを放置して思索を重ねてきました。
 
 TRPG系Blogとは云え、このBlogはオフライン環境を前提とした伝統派であり、オンラインでのチャットTRPGを専門としているブロガーも数多くいる界隈の中ではいささか古めかしい立場にあります。
 さらに、仲間とは定期的に集えない自身の経緯からコンベンションでの活動を主体に話を展開しているのですが、コンベンションを渡り歩く一放浪者がBlog活動をしているのはTRPG界隈でも稀なケースなのかもしれません。
 だから、誰のために記事を書くのかという明確な相手がいないという点に於いて、普通のTRPG系Blogより難儀と云えます。自らの欲求と思索からしか、記事を書く動機がないのですから。

 まぁ、孤独、孤立はなるべくしてなったものだと理解し、むしろ気楽に構えるべきだと心得てはいます。僕自身、新しいゲームを遊ぶこと、違う人と遊ぶことを好んでいるので、実際はそんな深刻なことでもないのでしょう。

 そんなわけで、今日は気まぐれな思い出話。
 実は先月で、ScoopsRPGに初めて投稿をしてから、現在のHNでのコラム活動5周年を達成しました。当Blogをご覧になっている皆様方にはあつく御礼申し上げるとともに、これからもよろしくお願いいたします。

◆◆◆

 昔、僕が高校時代に所属していたサークルに「先輩」と呼ばれる人がいました。いつも例会が終わる頃に顔を出し、サークル幹部衆の歓迎を受けていた人でした。
 当時の僕は、外来者がキャンペーンをする幹部衆の邪魔にならないよう集めておく隔離卓のGMを請け負っていて、外来者の方々と仲良くやっていました。

 それが「先輩」の気に障ったのか知らないけど、ある日の例会終了後、打ち上げの宴席に招かれた僕は「先輩」から説教を食らうことになりました。
 正直、一緒にプレイしたどころか、プレイしている光景を見たこともない人から後輩扱いされるのは存外ですが、僕をサークルに誘ってくれた幹部やサークル代表まで、幹部衆がそろって頭を下げる人だったので敬意を払わざるをえませんでした。

 その先輩曰く、キミはこの界隈に入ったばかりだから、TRPGを何でもできる素晴らしいゲームで、TRPGのゲーマーは何でも相談できる素晴らしい友人だと思っているだろう…。
 でも、それはキミがこの業界のことに無知だからに過ぎない。
 無知だからゲームの無限を信じれるし、フロンティアでもいられる。でも実際は我々が遊んだ通りに真似をしているに過ぎず、キミの先輩にはなれても友達にはなるつもりはない…。

 要するに、いい気になるな、と。

 この「先輩」とはその後1度プレイを共にしたのですが、とりたてて印象に残るプレイをしたとは云いがたく、TRPG者としての思い出を何1つ残すことなく、ただ仕事の愚痴とガンダムの批評話だけには旺盛だったという印象以外すっぱり忘れてしまいました。

 だが、彼が若い僕に語った言葉だけは今でも憶えています。
 こういう人間を実力で叩き落していかないと、心置きなく遊べる環境は得られないぞという苦い思いと共に…。

 まぁ、その後頻繁にプレイに誘っては「すげぇ…! こんなカッコイイロールプレイができるもんだな」と唸らせるだけの人に出会って信服してしまい、彼とはリタイアするまで懇意にしていたのでさほどひねくれたゲーマーに育たずに済んだのですが…。

 リタイアもあれば復帰もあり、現在のHNでコラム活動を始めてもう5年が過ぎ、その間にも多くの出会いと別れがあって、現在は都内のコンベンションを渡り歩く身の上…。年齢もあの「先輩」に近くなりました。

 結果、出来上がったのは永遠の初心者でした。
 前世紀のTRPGを知らない若い人たちとプレイしてても、自分たちの真似をしているとも、友達になる気はないとも思いません。自分から見てはるかに青く未熟な遊び手のプレイにも心躍らされるし、平気で頭を下げられます。
 つーか、あれだけ散々「もうこの業界は終わった」と絶望したゲームを未だ続けられることが正直嬉しくて仕方がない。自分が見捨ててた間も辛抱強く受け継いでくれたことに感謝したいのです。

 その喜びに比べたら、小集団相手に先輩面してお山の大将を気取れる楽しさなどゴミに等しい。そこで満足してタコ壷に入っていたなら、回転翼というブロガーはいなかったでしょう。せいぜい、後輩たちの離脱とともにゲーム活動を「卒業」し、それっきりでしょう。

 その「先輩」が現在もゲーム活動をしているかは不明です。
 彼自身は年齢からTRPGの黎明期を体感した世代であり、熟練ゲーマーたちに頭を下げさせる経験と貫禄はあったのでしょう。だが、1人のゲーマーとして善良であっても、組織の重鎮としては自らの影響力を誇示するばかりの「得体の知れないOB」でした。
 彼の目には、現在のTRPGはどのように映っているのでしょうか。

 そして、自分が今プレイできる幸せを楽しんでいるTRPGは幻想なのでしょうか。それとも確信できる何かがあるのでしょうか…。

 分かりません。
 ただ、果てしない可能性と無際限の夢を与えてくれる素晴らしい道具だとの思いは今も持ち続けています。「先輩」の言葉は今もTRPGが与えてくれる喜びが何物なのか、僕に問いかけ続けています。


 
タグ:TRPG
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2008年08月24日

なぜTRPGがプレイヤー間対立ではないのか

 どうもお久しぶり。
 まさか20日以上も記事を書かずに遊び呆けるとは思ってもいませんでした。近場ですが旅に出たし、コミケでも存分に遊びました。おかげで夜は眠くて眠くて、執筆する気が起こりませんでした。
 
 そんなわけで、今日もTRPGのメカニズムについて考察。
 こういう記事ってのは地味なのであまり人気は出ないんですよね。
 人目を引く記事ってのは不安と狂気を煽り立てるのが手っ取り早いわけでして、そうなるといかに業界の危機を煽動するか、さもなくば自分はいかにエキセントリックかをアピールするかなんですよね。
 まぁ、それをやるには近頃の僕は無難でダメなわけでして。

◆◆◆

 TRPGは複数人のプレイヤーvs1人のGMというゲームとしては奇妙な形式を採用しています。しかも、運営役も兼ねたGMは対立者というより試練を与える教導者であり、遊び手本人同士は全員が協調しているというゲームらしからぬ構図をしています。

 この構図からTRPGのゲームとしての特性を見出せず、TRPGはゲーム活動ではない何かなのではないかと考える人もいることでしょう。

 僕は先月、ミニチュア・ウォーゲーム(略してMWG)からTRPGに移行する間に起きたゲーム要素の変化を何度か推察してきました。そこでTRPGはMWGを1人1キャラで遊びたいという動機から、徐々にゲームバランスを取るべく整えられたシステムだというのが今までの推察です。

 だが、この推察だけでは現在の「多人数プレイヤーvsGM1人」の構図が定着した原因を特定するまでには至りません。元のMWGがプレイヤー間対立というゲーム本来の構図であることを考えれば、TRPGは単にMWGを1人1キャラで遊ぶために改造しただけのゲームではないと云えるデザイン思想の変化があったのではないのでしょうか。

 そして、変化がなければTRPGは現在のTRPGの姿をしていなかった可能性もあります。

 MWGを1人1キャラで遊ぼうという時点で、TRPGは現在とは違うゲームに進化する可能性がありました。
 1人1キャラでは死ねばゲームオーバーですが、MWGと同じ運営方法で行われているTRPGでは脱落でしかありません。プレイヤー側が全滅するまでプレイは続行されます。
 ここで「誰が最後まで生き残るか」がゲーム目標になっていたら、TRPGは違ったゲームになっていたかもしれません。あるいは、バトルの対立構図をマルチゲームのようにPC間対立にすれば、より早い時期に『ルーンバウンド』と同様のゲームになっていかもしれません。

 だが、ガイギャックスらのグループはあくまでも対局の構図にこだわりました。さらにモンスター側をGM1人に専任させ、プレイヤー側が共闘する現在の構図を堅持しました。もしMWGとしてバランスを取りたいのであれば、モンスター側にも同数のプレイヤーを割いて互角の人数による対局にしたでしょう。

 なぜガイギャックスらがゲームの対立構図をプレイヤー間対立ではなく、「多人数プレイヤーvsGM1人」の構図にしたかは、彼らが思想的基盤にしていた『指輪物語』が影響していたのではと僕は考えています。ガイギャックスらはゲームの販路を当時『指輪物語』に傾倒していた米国サブカル層に求めたわけですが、彼らにゲームを体感させるためには、指輪と同じような「旅の仲間」の構図にする必要がありました。
 
 販路が従来通りMWGゲーマーのみであったなら、ゲームとしての対立構図を明確にして彼らの競争欲を煽り立てたでしょう。だが、物語を体感したいサブカル層にことさら競争を煽るのは逆効果です。なぜなら、元々は繋がりが薄いサブカル層がコミュニティに集って求めるのは気軽に打ち解ける「同志」であり、対戦に勝ち抜き自らを誇示するゲーマーとしての意図は持ち合わせていないからです。
 
 販路をサブカル層に移したことで、TRPGは交友を促進するツールとしての機能が求められ、その結果現在の構図が生まれたのではないでしょうか。だとしたら、「多人数プレイヤーvsGM1人」の構図にゲーム特性が見出せないのも当然です。ゲームのための構図ではなく、交友を促進するために作られた構図なのですから。

 さて、色々な変遷を経てTRPGはバトルゲームとして独立し、『指輪物語』とともに発展していきました。それとともに、TRPGキャラの物語的意義も膨らむようになり、いつからは定かではないがシナリオが登場し物語世界を語り合うプレイスタイルが定着していきました。

 なぜTRPGに物語がついたかについてはまだ未推察なのですが、おそらくゲームとしてではなく、思想的基盤として用いた『指輪物語』の影響があるかと思います。ゲームの一要素として物語を取り入れたいというのではなく、『指輪物語』みたいなファンタジー物語を語り合いたいという要望が根源にあったかもしれません。
 もしTRPGがプレイヤー間対立の構図であったなら、プレイヤー同士は勝利するべく腹の探りあいをし、仲間同士打ち解けて物語を語り合う環境にはならなかったかと思います。

 『D&D』を取り巻く環境も、指輪が主でTRPGが従だったのでしょう。『D&Dエキスパートルール(通称青箱)』によってMWGから物語再現装置への道を進むことになりました。

 今日はここまで。
タグ:TRPG 指輪物語
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2008年07月31日

軽戦士に戦理はあるのか

 東京では『ウォーハンマー』がよくプレイされています。
 『アリアンロッドRPG』、『ソード・ワールド2.0』に次いで3番目に卓が立つファンタジーTRPGではないでしょうか。この3作に『六門世界RPG』辺りが次点にきて、他は毎度のプレイは期待できません。
 システムが分かりやすいってのもあるけど、あの特濃な世界観でよく受けたなと思います。

◆◆◆

 過去3記事で、TRPGがMWGから派生する間にいかなるデザインの変遷があったのかを推察してきましたが、これはTRPGが『D&D』以来30年以上、戦闘システムの基幹をターン制と対抗判定という『Chain Mail』以来の伝統的なスタイルを継承する理由を解題するためにありました。
 そして、この執筆にあたって僕は1つの仮説を立てていました。
 すなわち、TRPGの戦闘システムが不変なのは、それがTRPGのゲーム形式そのものに起因しており、MWGから遊び方を移行していく中で遊び手の立場や欲求に適応していった結果なのだからではないか、と。

 もしこの仮説が正しければ、ちょっとした小手先の変化ぐらいではTRPGの戦闘システムは変化しないことになります。そして、推察は仮説を肯定する方向で進みました。

 TRPGの基幹である「1人1キャラのプレイヤー数人と、モンスターを一手に引き受けるGM1人」の構図自体が、「プレイヤーは自駒の保全がゲーム目標と化し、そのために連携して各個撃退を始める」という展開を生み、不均衡な構図を互角にするために「連携するプレイヤー集団vs強力なモンスター単体」の戦闘に落ち着くわけです。

 もちろん、構図が同じであれば戦法も鉄則が生まれます。

 まず、PC側は何ラウンドも悠長に戦える余裕がありません。
 相手も高い数値修正を持っているので防御判定も確実ではなく、毎ラウンド深刻なダメージを受け続けるのが常です。持久戦は不利な相手なので、速効で最大攻撃力を叩き込むことが求められます。

 そのためにダメージの高い両手武器を装備し、特技などもダメージを増加させる物に特化されます。防御判定がアテにならないので、回避を期待せずACとHPの高さで凌ぐしかありません。そのため、高いACを持てる……硬い鎧を着れるクラスが前衛として不可欠になります。

 すなわち、対ドラゴン戦……TRPGで最も完成度の高い戦闘場面では片手剣などの中途半端な性能の武器や盾、格闘家や軽戦士など大したダメージを与えられないクラスなどは役立たずになる恐れがあるということです。
 これらの高機動力、高い回避能力、多彩な技能を誇る装備やクラスは互角以下のモンスター数体を各個撃退する「見せ場戦闘」にこそ威力を発揮するものと云えましょう。威力と云ってもイニシアチブを取るため程度で、いくら先制攻撃しようが機械的に対応するモンスター相手では電撃戦の意義はまるでありません。素早さの代償として低ダメージの武器しか与えられない軽戦士のやることなど先制してモンスターの頬をはたく程度のことです。
 実の所、後衛の支援が会えば前衛が鈍重でも何ら問題なく、例え先制できなくても敵が来るのをのんびり待てば問題ありません。重戦士は支援ある限り揺るがない優位を保てるTRPGで最も安定性の高いキャラなのです。
 本当、TRPGにおいて軽戦士の類は単に上級者向けというより戦理に合わないクラスと云えましょう。 それに成長でも重戦士は能力強化に加えて装備でも充実してくるけど、軽装備にこだわる軽戦士は大した装備が持てなくてどんどん先細りしていきます。

 第一、固定値であるACとダイス目修正の回避能力が天秤にかけられるってのがおかしいわけで、出目次第でご破算になる回避能力よりは、運がいくらなくとも適応されるACの方が確実にキャラを保全させる力があります。

 それでも懲りずに設定され続けているのは、口だけの世界では軽戦士必勝法がどこかにあるってことなんでしょうか。現場じゃとんとお目にかかりませんけど。
 
 それでも、んじゃ軽戦士いらないって云うのも夢がありません。

 重戦士でいくことが戦理である現在の戦闘システムを改善するのが根本的な解決策ですけど、それにはキャラクターの保全がゲーム目標であるTRPGの仕組みそのものに手を加える必要があるかと思います。
 
 今日はここまで。


【関連記事】

夢世界の双刃剣、現実世界の巨剣 〜TRPGにおけるデータの有為無為とムダ〜
 
タグ:TRPG
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2008年07月24日

なぜドラゴンはTRPGの主役になりえたのか

 またしても地震。怖いです。
 東北地方の方々、お気をつけてください。

 今日も前回の続き。
 MWGからTRPGに移行するプロセスの中で生まれたボス敵の存在についてです。

◆◆◆

 TRPGは1人1キャラで、陣取りなどの大局的目標がなくPCを保全することが目的の戦闘ゲームですので、プレイヤー側は戦力を集中し各個撃破を仕掛けるのが常道になっています。
 これに対してモンスター(GM)側は、無制限の防御判定と数値修正、ACなどの1キャラを保全するシステムの壁に阻まれ、弱い敵はいくら出しても歯が立ちません。
 互角以上の敵を出しても、PCの保全という微視的な目標しかないTRPGでは、プレイヤー側の敗北はがっかり感しか与えません。ゲームとしてより多くの遊び手を幸福にしなけはれば支持されない実情を顧みれば、GMは最終的には1人負けするように計らわなければなりません。

 ここまでが前回のおさらい。
 
 この時点でTRPGはウォーゲームとしての目標がレイムダックし、物語作りを演出するトライアル的な存在になっていきます。すなわちTRPGでの戦闘は、勝敗よりもいかに試練として試し甲斐があるかの方が重要になってきたのです。
 そうなると、戦闘に対するコンセプトそのものが変化していきます。もはや用なしとなった「陣」と「駒」は抽象的なイメージに簡略化され、プレイヤーが連携して集団行動を取ることを前提に対処されたモンスターが用意されるようになったのです。

 つまり、連携するプレイヤーたちに対し、連携はしないが互角に戦える相手であり、なおかつプレイヤーたちをジリ貧にして士気を下げさせない短期決戦に向いたモンスターです。
 そこで登場するのが、圧倒的な巨体とネームバリューを誇る単体のボス敵です。

 PCの堅牢な数値修正やACをブチ抜き、一撃でHPの1/3から半分ぐらいを奪う圧倒的な打撃力と、集中砲火を受けても数ターンは耐えうるHP。それに後衛の油断を突く全体攻撃…。
 このような圧倒的なモンスターを1体だけ出すことにより、プレイヤー側に一か八かの大勝負を感じさせる緊張感を与え、負けた時のがっかり感を軽減させることができます。仮に負けても、あんな圧倒的な敵では仕方がないと甘受できますし、1体だけなら倒せる望みを保持し続けることができます。すなわち、悔しさの矛先がGMに向きません。さらに、全員が同じターゲットを攻撃しているので、プレイヤー側の目が戦功争いよりも団結に向き、プレイヤー間にまとまりがつきます。

 すなわち、団結し役割分担を駆使するプレイヤーチームvs圧倒的な攻撃力を持つ強大モンスター単体という構図がTRPGの戦闘としてもっとも白熱し、なおかつ娯楽として安泰であるということです。

 幸運なことに、ファンタジーTRPGの世界ではドラゴンというボス敵の条件を満たしたモンスターがいました。
 実の所、聖ゲオルギウスやジークフリードなど神話伝承には竜退治のエピソードがありますが、当時のファンタジー愛好家たちの聖書であった『指輪物語』にはドラゴンは登場していないわけで、ガイギャックスらがどうしてドラゴンをタイトルに冠するほど主要なモンスターに抜擢したのか定かではありません。
 もし、ガイギャックスらが指輪物語に固執していたら、バルログのような妖魔がボス敵に設定されていたかもしれません。あるいは、版権上バルログの名を出すことが出来なかったが、ボス敵のロール・モデルとして意識していたかもしれません。いずれにせよ、彼らの手によって神話伝承の存在であったドラゴンはゲーム世界の登場人物として設定がつけられ、今日のファンタジーでも使われている姿へと定着していったのです。

 日米ともにTRPGで最も好まれているのはファンタジーですけど、それは1人1キャラ戦闘に最も合致したドラゴンというモンスターを創造できたことが一因としてあると思います。
 SF、サイバーパンク、スチームパンクなどファンタジー以外のTRPGではドラゴンに相当するボス敵を創造することができず、結果としてトライアルの対象としてファンタジーほど明確なモチーフを提唱できず、ゲーム目標がぼやけてしまっています。そのモチーフの不明瞭さが、シナリオ創作やプレイヤー募集においてネックとなっているのでしょう。

 続きは次回。
タグ:TRPG ドラゴン
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2008年07月20日

GMは娯楽文化としての立場のために負けなければならない

 社会人層のTRPG離れが著しいという意見がありますけど、まず趣味と仕事を両立できる環境を育てないといけないという点で、全ての趣味文化共通の悩みと云えましょう。

 まずは、休日は静養以外に選択肢がないという層に、いかに精力・活力をつけさせるかという課題を解決しないとダメでしょう。そのためには滋養ある食事、適度な運動と健康な体作りが必要ですけど、まず第一に大事なのは、十分な睡眠を取ることです。それも夜間の睡眠は大事です。

 そのためには夜間のネット利用は慎むべきなのですが、それにはまず「昼間にネットで遊んでいても軽蔑されない」環境にしなければなりません。昼間ネットにいるのは無職引き篭もりだけなんて揶揄が罷り通っていたら、誰だって夜しか利用しませんよ。

 今日は前回の続き。
 このBlogはあくまでもTRPGが生活の中で両立できている人のためのBlogです。
 
◆◆◆

 防御判定によって1人1キャラの戦闘ゲームはようやくバランスが取れ始めてきました。だが、バランスが取れたことにより今度は設定の中から非合理的な存在が生まれ、ゲームとしてムダが出てき始めてきました。

 それは「駒」の重要性です。

 TRPGの戦闘システムは攻撃判定vs防御判定のダイスバトルが基調ですが、ユニットの戦闘能力を表現するために実力を数値修正にて補正しています。
 これによって、数値修正およびダイス目による達成値で防御判定の最低値を上回れないユニットが打撃を与えることが不可能になりました。これはクリティカル・ファンブルによる無条件成功・失敗の要素が発明されることにより完全ではなくなりましたが、仮に攻撃が成功しても圧倒的な数値修正差がつくほどの相手ともなればACやHPも総体的に高く、十分なダメージを与えられないのが実情です。

 こうなると、モンスター側はいくら数を揃えても「叶わない相手には徹底的に叶わない」ことになります。何百とゴブリンを揃えても、高レベルPC相手に一撃を与えることすらできません。
 DM側は果てしない徒労を強いられ、プレイヤー側は退屈な虱潰しになるわけで、この時点で「弱敵」の存在がいらなくなるのです。

 防御判定と数値修正によって、もはやTRPGでは頭数は戦力たりえない要素になったのです。「守るべき存在のいる侍と雑魚1万、どっちが強い」という問いに侍だと即答できるという『天羅万象』のデザインコンセプトは別に突飛な発想ではなく、『D&D』の時代からあるTRPG戦闘システムの極端な結論でもあったのです。

 こうして、TRPGではプレイヤー側と同等以上の数値修正を有したモンスターとの戦闘が伯仲することが判明したのです。各レベルごとに互角だとランク付けされたモンスターか、用意されたPCと同じレベルのNPCが自然に伯仲する相手となります。

 互角の戦力同士になって、ようやくTRPGはバトルゲームとしてバランスが取れたかに見えましたが、ここでまた不合理が発生したのです。

 それは「DMが勝つ」ことの重要性です。

 数値修正的に互角の敵を揃えてもプレイヤー側は戦力の集中と各個撃退によって、戦力を削ってくることが可能です。対するDM側はそうした戦術を多用することはアンフェアとされ、極力無軌道に行動することが求められています。
 これは増援という形で新たに戦力を増強できる立場のDMへの抑止効果もありますが、何よりもプレイヤー側が不利な状況に立たされることによるプレイヤーの士気低下が、思った以上に深刻な悪影響を与えることが分かったからです。
 TRPGではモンスター側の勝利が、複数いるプレイヤーに不幸な虚脱感しか与えなかったのです。

 ゲームならば娯楽として最大多数の幸福が実現したほうが安泰なのですが、戦闘ゲームへと一歩微視的な立場で楽しむTRPGではPCの保持以上の大局的な楽しみを提示しづらく、より多くの遊び手を楽しませるには複数いるプレイヤー側がキャラを保全しやすい立場にあるのが道理になります。
 すなわち、DMが1人負け役を引き受けることが、多くの遊び手が楽しめるためには必要だったのです。そのためにTRPGではモンスターはあくまでも非知性的であって、DMはあくまでもプレイヤーの楽しみを引き立てるために戦術を多用してはならないというマナーが次々と提唱され、不文律として成立しています。

 かくしてTRPGはより多くの遊び手を幸福にするために、戦闘ゲームからPCの活躍ぶりを演出する出来レースへと変貌することになったのです。もはや戦闘は伯仲はするが最終的にはプレイヤー勝利へと流れていくのが最も妥当な方向になりました。
 
 もちろん、これではゲームとしての楽しさが大きくレイムダックしてしまいます。いくら多数の幸福のためとは言え、勝者と敗者の数的バランスが取れてこそよきゲームとなります。多数でDM1人に勝っても大した優越感は得られないのです。
 多数のプレイヤーと1人のDMという圧倒的な人数差の中で、勝者敗者のバランスを取るためにはどうすればいいのか…。
 それは次回。
タグ:TRPG
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2008年07月13日

ミニチュアウォーゲームからTRPGになるまでの間にあったゲーム要素の転換

 よく「次回」などと銘打ちながらテーマを続けないことがあります。
 それは単純に反応が鈍かった記事でして、アクセス数が伸びなかったり、はてなブックマークがつかなかったりして、あまり食いつきが良くなかった記事はテーマとして打ち切りにしています。
 食いつきが悪いテーマを根気よく続けるのは時局を読めないわけですし、そういう記事は公表するよりも下書き段階で暖めた方がよい。むしろ今スラスラ書ける話題に転換した方が硬直せずに続けられるというのが僕の姿勢です。

◆◆◆

 TRPGはミニチュアウォーゲーム(略:MWG)の派生として生まれたことは本Blogで何度か取り上げました。MWGに興じていたG・ガイギャックスらのグループが、それまでユニット(軍団)を率いていたMWGを1人1キャラにしてはどうかと思いつき、そこから試行錯誤を経て『D&D』の前身である『Chain Mail』が誕生しました。
 そして『D&D』からモンスター側と審判の役割が統合されたDMという遊び手が発明され、1人1キャラ担当のプレイヤー数人対モンスター集団を1人で扱うDM1人という図式になりました。

 これがMWGからTRPGが派生した「神話」なのですけど、この派生に至るまでに、どのようにゲームが改造され、コンセプトが設計され直されたのか詳細な記録は残されていません。
 今回は、MWGからTRPGに移行するまでの間にどのような変化があったのかを推察してみようかと思います。

◆◆◆

 MWGはSLGであり、その基本はチェスと同じ陣取りゲームです。
 陣取りゲームは各駒の性能を活かし、行動範囲が決められた盤面上で交互に駒を動かし、最後は陣取りを制して相手を詰みにすることを目的としたゲームです。MWGは駒がユニット、盤面がジオラマや六角マスのボードに変化しただけです。

 さて、チェスやMWGは共通の特性が1つあります。それは最終的な勝利のために、駒を生かす必要がないということです。陣を確保するために捨石になる駒、役目を終え盤を埋めるのみの駒など、駒は活かされるのみならず、殺されるためにも使われるということです。
 これは遊び手に、最終的な勝利のためにどう駒を使い、なおかつどう駒を捨てるかという視点を与えます。陣取りゲームの遊び手は犠牲を厭わないのです。

 これが1人1キャラになると、駒の死=ゲームオーバーですから駒を殺して陣を取る意義がなくなります。各個が自駒の保全を目的に動くので、プレイヤー側には陣取りの勝利という巨視的な見方をする人がいなくなりました。
 陣取りに勝つために、自分がゲームから脱落することを納得させるのは中々難しいことですし、それを他者に強要することはもっと難しいことです。

 この時点で、各個が自駒の生存のために動くプレイヤー側と、モンスターを活かすことも殺すことも自在なDM側とで遊び手の立場が異なるようになり、ともするとDM側の方が有利な環境になりました。
 駒を捨てられないプレイヤー側と、全体的勝利のために捨て駒を使えるDM側の方が手堅く陣を取れるでしょうから。
 この絶対的な戦力の不均衡を是正するために、後にTRPGの方向性を決定付ける観念が導入されることになったのです。

 それが、「無制限に使える防御判定」です。

 防御判定に成功する限り、無制限に駒を保全することが可能ですし、無数の敵にも対応できます。HPにも駒の耐久性を上げる効果はあるにせよ、無制限に駒を保全できる可能性を与えたのは画期的な観念と云えるでしょう。
 
 そしてさらにPCの生存率が高まるように、食らったダメージの総数を軽減できる装甲によるアーマー・クラス(AC)という要素も発明されました。これも無制限です。

 防御判定とACによって生存率が大幅に上がったプレイヤー側は、モンスター側との戦力差を埋めるべく従来の陣取りゲームでは想定外の戦法を取り始めました。プレイヤー側が集結し、DM側のモンスターを1匹ずつ各個撃退し始めたのです。陣取りをするために犠牲を強いることを辞め、とにかく生き残るために相手の駒を虱潰しにし始めたのです。
 この現象により、DM側も陣取りゲームをする意義が失われました。陣を守る必要がなくなったプレイヤー側が固まってモンスターを潰すことに専念するのですから、DM側の戦術も単純な戦力投入しかなくなります。
 
 かくして、1人1キャラという前提に無制限の防御判定、集結と各個撃破という戦法によってTRPGは「陣取り」という大目標を失い、結果として戦術ゲームから戦闘ゲームへと一歩微視的な立場で楽しむゲームへと変化していきました。

 さらにキャラの性能を表現すべく発明された「数値修正」によって、TRPGはMWGから完全に逸脱した新しいゲームと変貌していくのです。そこから先は「気が向けば」次回。
タグ:TRPG D&D MWG
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2008年07月08日

ソード・ワールドの話題力

 『ソードワールド2.0』をようやくプレイしてきました。
 発売前にF.E.A.R的だという声がありましたけど、『アリアンロッドRPG』とは違う、紛れもなくかつてSWで体感したSNEのゲームでしたよ。
 世界観のくだらないムダ話で話が弾むトコとか、マンチキンというかセコい裏技……ターン終了の直前ごとにアンビエント歌ったりとか、ペットの蛙を手榴弾よろしく投げ込んだりとか……があったりとか。

 TRPGの数値修正で完璧なデータバランスを取ることは難しいもので、どこかに脆弱性があって不均衡なキャラメイクや戦法が生まれてしまいます。それでゲームがヌルくなったりすると糞ゲー扱いされるものですけど、TRPGに関しては完璧なデータバランスのゲームよりは、珍妙な裏技があって笑えるヌルさがある糞ゲーの方が楽しめるものです。
 コンシューマーなどのソリティア(1人遊び)ゲームだと、個人的な欲求を満たす目的でプレイしているわけで、そこにゲームの愛好者として高次な目的意識を求めれば技量の研鑽や隅々まで確認した見識など、エキスパートとしての求道を目指すのが自然です。
 そういう世界だと、道具としては扱いの難しい名器が玄人面しやすく尊ばれるものでして、ヌルさや奇天烈ぶりのあるゲーム=糞ゲーの烙印がたやすく押されてしまいます。自分を高い所に持って行きたいのですから、なまくら物は価値なしとされるわけです。

 一方、TRPGは対話で盛り上がった者勝ちのパーティです。歓談のネタとして道具を使うなら、それはいびつで滑稽な、突っ込み所満載だけどそこが面白い器の方が好まれます。
 こっちの世界は面白いもの勝ちであり、どんなに1人でゲーム通たらんと望む者としてヌルい糞ゲーだと感じても、そのヌルさ、奇天烈ぶりがセッションの面白さを加味する材料たりえるならば、名器よりはなまくら物の方が味があってよろしいとなるわけです。

 SWもそうでしたけど、どの卓に行っても笑い話になるネタがあって、それで笑い合ううちに自然と打ち解けあえるってのはこの作品の目に見えない実力なのだなと思います。

 
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2008年06月30日

遊び手が物語を自作するTRPGモデル 〜未完成ノートその4〜

 TRPGは物語再生装置だとし、その醍醐味は共有できる物語を共同制作していくことだとしている僕のTRPGは、遊び手に物語を作ることを要求します。シナリオの方向性について頻繁に判断を要求しますし、NPCもそれぞれの思惑のもとに自立的に行動します。

 そのせいでしょうか、僕のセッションにはオーバーヒートしてしまう遊び手が結構見受けられます。セッションを続ける気力が落ち、黙り込んでしまう人や、シナリオを放棄しようとする人など、物語を作る判断にギブアップしてしまうのです。
 結局、GMである僕が物語を収束し、GMの吟遊詩人で幕が下りるケースもしばしばあります。物語の舵取りをプレイヤーに任せたのに、先にプレイヤーが疲れてしまい最終的にはGMの1人語りになってしまう…。

 なんとかせんと、こっちも疲れてしまいます。

 そんなわけで、今日はGM・回転翼のシナリオにある対話ゲームの仕組みを少し整理してみます。デザインコンセプトの構想なので、例によってノート扱い。

◆◆◆

 僕もかつては葉鍵厨(『ToHeart』と『Kanon』の直撃世代)でしたのでビジュアルノベルの手法が影響しています。そしてBlog活動を始めてから、鏡氏や高橋志臣氏など、自由や創造性を重視するゲーマーの方々と意見合わせしてきた経緯もあり、TRPGを遊び手の自由な発想が活かされる創作ゲームとして形成してきたのだなと思います。

 遊び手が物語の主役であるべきと考えていますから、GMが干渉するのはシステムやタイムスケジュールなどの自然神的役割だけで、シナリオ展開は極力プレイヤーのやりたい事を成す事に専念します。

 僕にとってTRPGのシナリオは1つのゲーム作品であり、遊び手が異なるごとに違うセッションを提供できることを理想としています。遊び手がヒロイックを望めばヒロイックな展開に、ミステリーを望めばミステリーな展開ができる……。それを可能とするために、幾多の分岐が存在するシナリオ群を用意する必要がありました。
 遊び手の行動次第で幾多の分岐して存在するシナリオフラグの中から、遊び手が追い求めた展開にあったフラグが立ち、求めなかったフラグは封印されます。
 具体的にはそれぞれ目的と思惑、行動スケジュールを持ったNPCを複数用意し、遊び手が興味を持ったNPCを中心に物語が進みます。

 それだけだとビジュアルノベルそのまんまですから、複数の分岐NPCを個別に動かして、プレイヤー各人ごとに別のフラグを発動させます。これによって、パーティ各人ごとに物語上の役割分担をさせることができますし、個人目標とパーティ目標のジレンマを生じさせることもできます。
 もちろん、各人が個人目標達成のためにバラバラに行動しないように、定期的に集結させ、ミーティングの時間を取らせます。遊び手は自由に対策を考え、利害を調節することが可能です。

 多くのTRPGではキャラクターがなぜ冒険をするのか動機付けをするライフパスを用意していますので、NPCの設定はライフパスに応じるパターンに従って作ります。金銭を求めるキャラには大金の匂いをちらつらせたNPC、復讐者であるキャラには、復讐対象に関係ありそうな雰囲気のNPC、といった具合です。
 これによって、遊び手をシナリオから脱落しかねない行動……シナリオの舞台から抜け出そうとすることを阻止するようにします。

 シナリオのタイムスケジュールは曖昧でよいから行い、ゲーム時間1週間ぐらいで物語が自動的に収束するようにします。遊び手が友好的な行動をしなかった場合、最も関わりを持ったNPCが目的を達成し、関わりの薄かったNPCが犠牲になります。遊び手の行動に当事者感覚を持たせるために、NPCの行動には必ず他NPCの犠牲がつくように設定します。

 結果として、この形式はビジュアルノベル的に動く箱庭世界と分岐NPCの前に、TRPGのロールプレイと対話ゲームを以て遊び手自らが顛末を演出する展開となります。
 このゲームで遊び手たちは「自分たちはこういう価値観であり、こういう物語がしたい」という意志を明確にする必要があります。

◆◆◆

 …ざっとまとめてみたけど、これを簡単に理解させないとオーバーヒートさせちゃうんですよな。
タグ:TRPG
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2008年06月26日

リアル薄刃乃太刀 〜インドの奇剣・ウルミー〜

 『るろうに剣心』にて、刀狩の張が使った「殺人奇剣・薄刃乃太刀」のモデルになったであろう剣がインドにあることを知り、好奇心に任せて調査してみました。
 
 その名をウルミーと云います。
 この武器、TRPG系資料では『武器事典(市川定春著/新紀元社)』、『武器だもの(武器ドットコム著/幻冬舎)』、そして『The Compendium of Weapons,Armour & Castles(マシュー・バレット著/パラディウム・ゲームズ)』にも掲載されていません。当然ながら、『D&D』、『T&T』など、TRPGにはまったく登場していない武器だと思われます。

 Urumi/ウルミーはインド南部・ケララ州に伝わる伝統武術・カラリパヤットで使われる剣です。ウルミーはChuttuval/チュッタバル(コイル状の剣ほどの意)とも呼ばれ、英語ではフレキシブル・ソードと訳されています。
 長さは4〜5.5フィート(120〜165cm)。グリップには護手がつけられています。何より特殊なのはその刀身で、粘性の強い鋼で作られたとおぼしき刃はゼンマイのように巻くことが可能です。普段は巻いたり、ベルトのように体に巻きつけて所持するようです。戦闘になると鞭のようにしごいて伸ばします。刃が複数本あるウルミーも存在します。
 剣ではあるが攻撃方法は鞭に近く、乱戦に向いているが自傷する危険も高く熟練した技量がいる武器であり、カラリパヤットでは一子相伝の武術とされています。ケララ州では突き技による剣術が発展しなかった(おそらく暑さの影響で鎧が発展しなかったからかもしれません)関係でウルミーが広まったとの事。

 ケララ州に伝わる叙事詩「Vadakkan Paatukkal」ではウルミーを操る女剣士・ウンニアルチャの物語があります。この叙事詩が作られたのは16世紀のようですから、その時期にはウルミーが存在してたと思われます。

 …以上がWikiなどで調べたウルミーの大まかな解説です。
 では実物がどんなものか、YouTubeにあった画像をどうぞ。

■Urumi fight in Kalarippayattu, Kerala



 もし『アリアンロッドRPG』で再現するなら、こうでしょうか。データは適当ですので使用するなら各自ローカライズしてください。

▼ウルミー
種別:長剣 Lv:4 重量:3 命中修正:−1 攻撃力:+5 行動修正:−1 射程:至近 装備部位:片手 価格:100

◆参考

 カラリパヤットとマラカーンプ
 インド武術を紹介するサイト。Vadakkan Paatukkalが掲載されています。

◆追伸(08/8/1)
 
 『GURPSマーシャルアーツ』にウルミー載っていました。
 これは盲点。
 
 
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2008年06月22日

語り部よりも映像 〜TRPGの戦闘は時代遅れになったのか〜

 親御さんが騒いだために白雪姫を25人で演技したという話をネットで知りましたけど、たとえ25人を並べても舞台の立ち位置で中央か隅っこかに分かれるのだから、結局平等にはなりません。
 そんなら25日かけて配役を持ち回りし、25回公演した方が平等だと思いません?

 今日はTRPGの戦闘が時代遅れになったのではという話。

◆◆◆

 TRPGがミニチュア・ウォーゲーム(MWG)から派生したのはこれまで何度か取り上げました。MQGに興じていたガイギャックスらのグループが、1人1駒だと駒に愛情湧いて楽しくない? と考えて作った戦闘システムが『チェインメイル』であり、そこに物語的要素……『指輪物語』的ファンタジーを演出するギミックを搭載したのが『D&D』です。
 『D&D』から31年。TRPGは大方『チェインメイル』で形成されたバトルゲームの基調を踏襲しています。

 『MGS4』をプレイしつつ、僕は思うのです。
 TRPGが提供するバトルゲームは、FPS(Frame Per Second/一人称シューティングゲーム)の出現によってその優位性を完全に喪失したのではないのか、と。これにMt:GなどのTCGを加えれば、TRPGのバトルゲームはより楽しく、より訴えるものが大きく、より手軽な存在になった他のゲームによって、ゲームを楽しむうえでの醍醐味を剥奪されたのではないのでしょうか。

 TRPGの戦闘システムの何が楽しいのかと云えば、

1:自分で設計したキャラを操り、バトルゲームに参加する楽しさ
2:駆け引き、やり取りのゲームの楽しさ
3:戦闘をロールプレイする楽しさ

 このうち、2に関してはこの記事にて取り上げています。TCGはカードという便利な道具を使って、TRPGのやり取りの道具であるコマンドを分かりやすく演出しています。また、収集と編成というTRPGにはない要素によって収集欲を発動させ、ただ記載されたデータを記述するTRPGのコマンドよりも高いモチベーションを醸し出しています。

 FPSに取って代わられた楽しさと見ているのは1の楽しさです。
 僕はそんなにFPSをプレイしているわけではないので確信は持てないのですが、TRPGはキャラクターの視点になってゲーム世界に投影をするという一体感が楽しいゲームでもあるわけで……あなたもこんな素晴らしい体験ができるよって呼びかけはガイギャックスですらしている……、やっぱりそれは対話によるイメージよりも、圧倒的なグラフィックと音響によって作られたデジタルゲームの方が強いんじゃないのかな。
 
 あと、3の楽しさはどうでしょうか。
 エキサイティングな戦闘こそ楽しいという人もいますけど、それならFPSの方がエキサイティングです。中にはモンスターを狩ること自体の快感が楽しいと説く人も昔はいましたけど、それなら『モンスターハンター』やればいいのだし、より率直に血が見たいなら『POSTAL』でもやればいいのではないでしょうか。

 ちなみに僕は、『POSTAL』の出現を以て、『バイオレンス!』のゲーム的使命は完全に終わったと思いました。

 他にも色々あるでしょうけど、僕はTRPGの戦闘システムが2008年現在、他のゲームよりも優れている要素は、新しく見つけない限りないのではと思っています。あくまでもTRPGの物語を彩る道具であり、メインとして醍醐味の第一位に設計するのはどうなのでしょうか。

 あと、この手の主張をすれば、別に優れている要素などなくてもいい、伝統を堅持すればファンはついてくるという意見を云う人もいるでしょうが、そういう人たちは今TRPGではなくMWGを好んでいるのではないかとも思うのですよ。

◆関連記事

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タグ:FPS TRPG
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2008年06月15日

一般装備の存在感が薄すぎる 〜TRPGのセッションに直結しないデータ・設定〜

 『シルバーレインRPG』を購入。
 システムや世界観についてはまだよく分からないのですけど、このキャラクターシートだけはいただけません。レイアウトがゴチャゴチャしてて、システムの主要箇所と端書の区分が出来ておらず、これではどこから目を通せばいいのか、目眩がしてきます。
 はっきり云って美しくない。せっかくフルカラーにしたのに、デザインの面でも機械的過ぎて興を殺ぎます。グループSNEの悪い面が出たなという感があります。

 今日はTRPGの中で存在感が薄れているデータ・設定についてです。

◆◆◆

 TRPGでいわゆる一般装備と呼ばれるデータは、データとして省略される傾向にあります。キャラクターシートでも端書設定であり、多くのGMが一般装備にかける手間と時間を惜しみます。そしてセッションではまず見向きもされません。
 そもそもキャラクターの不足を補う意味で必要だった一般装備は、技能の細分化・データ化によって取って代わられた印象があります。10フィート棒で地面を叩く必要は、GMが親切丁寧に使う場面を提示してくれる感知系技能チェックによりなくなりました。
 データとしての必要性がなくなった以上、遊び手の日常にもあるありふれた道具類に過ぎない一般装備に、さしたるネタになる力があるわけもなし。データとしても、設定としても掲載されている必要性が著しく低い一般装備は、もはや装備欄の穴埋めとして掲載されているに過ぎない箇所とも云えます。

 もちろん、こんなことを云えば、「それは間違いだ。一般装備はTRPGで十分活用されている」という声が聞こえてくるかもしれません。それで現場に戻れば、まるでコラムを反証するかのようにあちらこちらで一般装備が重要視されるセッションに出会えるのではと密かに期待していたのですが、そういうことはありませんでした。
 まぁ魑魅魍魎の類が放つ幻聴だと思っています。
 
 一般装備は役に立たなくなったデータとして顕著な例ですけど、TRPGが多くある趣味の1つになって、非電源ゲームとしての立場が強くなった現在、システムと直結しないデータや設定が今後TRPGの現場にて必要であり続けるのか、疑問に感じます。

 TRPGの舞台設定は、ゲームとしての必要範囲を超えた膨大な世界観を示すものが多くあります。かつてTRPGが物語文化の最先端であった時代、TRPG作品はファンタジーの大本である『指輪物語』をはじめ、ファンタジー物語の諸要素をデータ化した百科事典としての役割がありました。今でもTRPGのルールブックには、ゲームシステムとは直結していない、読み物として機能している設定が数多くあります。

 翻って現代、別にTRPGゲーマーが『指輪物語』に精通している必要性……昔はTRPGゲーマー間でファンタジー知識への優越感ゲームがあった……も、TRPGが物語文化の最先端である必要性……昔はゲームイベントで人集めができるTRPGゲーマーはラノベファンなどにブイブイいわしてた……もなくなり、TRPGが無理して膨大な設定を用意する必要姓は著しく薄れています。

 さらに云えば、同じTRPGでも日本とアメリカとの文化の違いというのも微妙に影響していると僕は思います。
 アメリカで流行したTRPGは『D&D』をはじめ、その多くが追加ルールや設定を拡大させたメガクラスの作品ばかりです。それに反して、日本で代表的に遊ばれているTRPGは『ソード・ワールド』や『アリアンロッドRPG』を筆頭に、コアルール1冊に遊びのエッセンスを凝縮したゲームが好まれています。
 日本で多く行われているフリーセッション形式のコンベンションでは事前にどのゲームが用意されるか分からないことが多く、サプリメントや設定集まで持参してくる人は自ずと限られてきます。
 さらにフィギィアやフロアタイルなどのガジェットも省かれ、パーティゲームとしてお菓子や飲物の傍らに置ける程度のものに用具が凝縮されたプレイスタイルが定着しています。コンベンションにはダイスと筆記用具のみで現れ、むしろお菓子や飲物の方に気配りを見せる手弁当な参加者も多くいます。
 それに輪をかけて、参加者がルールブックを持参してこないだろうと、セッションに必要な箇所だけコピーして配布する親切心あふれたGMも出るようになり、もはやキャラクターシートに記載される主要情報以外は使われもしないし、読まれもしない。
 
 はたして、今後TRPGにシステムと直結しない設定、読み物としての役割は必要なのでしょうか。あるだけムダであり、ゲームに必要なデータの分量に割いたり、余分な設定など省いて文庫版などに小型化するべきなのでしょうか。

 確実なのは、このままでは使う機会は徐々に失われる一方だということです。「そんなことはない。活用されている」という声が誰の耳にも魑魅魍魎の幻聴にしか思えなくなってからでは遅いのです。
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2008年06月10日

TRPG業界で新規参入者が減少している3つの理由

 先日もコンベンションで『Pendragon』をGMでプレイ。
 30越すとGMも肉体労働だなと帰宅したら、秋葉原でとんでもない事件が発生してたとのこと。セッション中に家族から安否を気遣われたのは初めてのことです。
 犠牲者の方々には謹んで哀悼の意を表明します。

 今日は短めに、TRPG業界でなぜ初心者が減ったのかを少し。
 
 昨今のコンベンションでTRPG初心者が減ったという声は色々な場所で耳にします。このことに関し、多くの人が業界の衰退であると感じ、販売業者、デザイナー、ユーザーなどが活性化しなければ危うい事態であると思ってるでしょう。

 だが、業界の停滞を問い質す前に、そもそも新規参入者が安定して確保できる状態が自然だという期待感そのものが、現代に通用するのか考えてみてください。
 僕はむしろ、TRPG業界において初心者が減っているのはごく自然のことだと考えています。その理由は3つあります。

 理由の1つは、趣味文化が多様化していることにあります。
 かつてファンタジー物語の文化でコミュニティを築くとあらば、TRPGをするか創作同人をするかしか選択肢はありませんでしたし、情報を得るにもゲーム総合情報誌かライトノベル誌が主要メディアで、その双方にTRPGはありました。
 80年代においてTRPGは、内にウォーゲーム愛好家、CRPG愛好家、ライトノベル愛好家、ゲームブック愛好家など、多くの物語文化愛好家を包括する物語文化におけるメインフォルダの役割を担っていました。なぜなら、当時はこれらソリティア(1人遊び)および小規模な愛好者を纏めるコミュニティを築くには場が未整備であり、ゲームイベントで集客力のあったTRPGに頼っていたからです。

 現在は小説、漫画、アニメ、映画、ゲームとファンタジーを扱ったメディアは数多く存在し、それらすべてがインターネットというミニコミの発達により、独自にコミュニティを築くことが容易になっています。今やTRPGは物語文化の中で「多くある趣味の1つ」に格下げされています。無理にTRPGに触れずとも、物語文化を堪能できるメディアはいくらでも存在するのです。
 すなわち、80年代のようにファンタジーを楽しむならTRPGは避けては通れないと思う人はいなくなったのです。

 2つ目は、これはもっと単純なことですけど、若者自体が減っているということです。

 TRPGは80年代からずっと中高生をターゲットに展開をしています。物語文化の中で活動しているのですから、当然ながら情緒的で多感、物語にどっぷり傾倒してしまうティーンを対象に商売をするのは至極当然なことです。
 でも、若者自体が減少しているのですから、マーケットは縮小して当然のことです。

 そこで80〜90年代にTRPGを楽しんでいた現在の30〜40代の、元物語文化愛好者に働きかけているのが現在の業界なのですけど、このバブル組からロスジェネ世代に当たるこれらの世代は、現在とかくケチになりがちです。金銭面はもとより、時間という資源においてもまとまった出費をすることを渋る傾向があります。
 すなわち、自動車など高価で維持費のかかる商品を嫌うのと同様に、TRPGなど事前準備に時間がかかり、セッションにまとまった時間が必要な上に、メンツの都合でいつでも望み通りのプレイができるとは限らない不確実な趣味に払う機会費用を渋るという懸念が存在するのです。

 曰く、「TRPGをする服がない」ということです。

 結局、現在TRPGに興味を持っている人は、物語文化の中でTRPGというサブフォルダまで深くアンテナを伸ばすくらい好奇心や学習意欲が強く、なおかつ事前準備を黙々とこなし、ゲームイベントのために休日の日中をレクリエーション活動のために費やす気のある行動力を持った人だということになります。

 以上のことはTRPGに限らず、趣味文化の世界ならどこでも抱えている問題です。今はそれぞれの趣味が独自に情報をやり取りし、コミュニティを築きやすくなった時代です。多くの人が業界の実像をリサーチし、機会費用を算定した上で、自らの有益を確信してから趣味の世界に入ります。
 趣味人が視野を定めることに賢明になった……これがTRPG業界に初心者が減ってきた第3の理由と云えましょう。

◆関連記事

外に語る時代ではなくなった 〜TRPGブロガーがアニメ版ナイトウィザードに冷淡だった一因〜
労力は課題であって経費ではない TRPGのコストとプロブレム
タグ:TRPG
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2008年06月03日

『とらぶる☆エイリアンず』初プレイ

 『とらぶる☆エイリアンず』を初プレイしてきました。
 とてもタフなゲームです。簡単とか難しいとかいう以前に、今まで経験したことのない異質なTRPG……それも『D&D』の系譜から完全に外れた『ディプロマシー』の系譜に入る対話ゲームでした。紛れもなく、現在発売されているTRPGの中でも最も挑戦的な作品の1つと云えましょう。

 とにかく静かです。
 なにしろ対話のほとんどをメモでのやり取りで行っているのですから、誰もが黙々とメモを書き続ける。メモを取ってない時は常に相手の顔色を窺っているわけで、そこでもそこはかとない緊張が漂っています。周囲の卓がウォーゲームで盛り上がる『D&D』やコアなファンが集う『ウォーハンマー』だったので、黙然としたとら☆エリ卓はまるで異世界。僕のようなプレイの半分以上をムダ話に費やすタイプのプレイヤーにとっては完全ビジターだったわけですよ。
 
 でも、静かなプレイ風景とは裏腹に、ゲーム展開は大荒れだったようです。「だったようです」とありますけど、このゲームはPC同士が正体を隠していて、互いの正体を探りながらプレイしています。それだけだと「誰が味方か分からない」状態ですけど、このゲームにおける妨害行為(レイド)もこっそり行われるものですから、「誰が敵になったかも分からない」状態にもなってややこしい。
 
 夜中に襲撃されたから反撃したら、実は他PCからのレイドだったりして、それでも灯りをつけたら血の着いた刀を持った僕PCと血を流す襲撃側PCを見られて、第3のPCが僕に濡れ衣を被せ拘禁。実は第3のPCもマンイーターで口実をつけて僕PCを食べようとしたので、僕は食べられそうになった所でテレポート脱出して逃亡……なんてことが水面下で行われていたのですが、プレイ中は誰も何を起こしたのかおくびにも出さないのです。

 ちなみに、今回のメンツは以下の通り。

ドライバーにしてエージェント/正体:火星人
・研究者にして大富豪/正体:秘術使い
・戦闘エリートにしてラッキー/正体:マンイーター
・謎の小学生にして大富豪/正体:未来人 (回転翼PC)

 火星人は「隷属」、秘術使いが「独自」、マンイーターと未来人(僕)が「根絶」だったわけで、誰1人「防衛」側がいないという事態で、云ってしまえば誰もシナリオをマジメにクリアをしようという選択をしなかったわけです。
 回転翼は最初のアイデンティティ選択で「マスコット星人」「ウォーモンガー」「未来人」の3種が出ていて、マスコット星人を選択すれば防衛陣営もプレイできたのですが、プレイ前から懸念していたことがあり、あえて根絶陣営を取りました。

 ある懸念とは、防衛陣営より隷属もしくは根絶陣営に属してシナリオの善処……人類のために戦うようなありふれた物語より、侵略者として暗躍する隷属、根絶陣営の方が遊び手としては新鮮であり、人気が集まるのではという思いでした。
 それはGMさんも周知だったようで、当初は防衛陣営中心だったパーティがプレイを続けるにつれ、隷属・根絶陣営の方が好まれるようになり、シナリオはgdgdになることが多くなったとのことです。

 然るに、とら☆エリの場合は単なる防衛・侵略という単純な枠組ではなく、人類を利用することを目的とする隷属側と、人類を滅亡させようとする根絶側との間にも対立させるようなシナリオを組む必要があるのです。
 今回のシナリオも、隷属側に属するNPCの暗躍がテーマでしたので、結果として任務失敗で防衛できなかったのですが、隷属陣営の勝利になって根絶陣営に経験値は入りませんでした。

 そもそも、同じ根絶陣営にいて、手が組めるはずの相手がマンイーターでは気が許せません。他の人たちも僕のムダ話が災いして、僕の正体が特定できなかったようです。
 シナリオの成否と同等以上の価値を持つ正体チェックにおいて、正解したのは僕が1人だけ。他の皆さんに比べて僕はメモのやり取りをせず、正体特定の推理に集中してたわけで、そっちでは僕1人辛うじて抜けたのですが、最終的に1人で逃亡したのと陣営側が勝利しなかったのが災いして経験点は10点と凡打でした。
 最後、機構に連絡してNPCを討伐させれば根絶陣営の勝ちだったのでしょうけど、残念ながら中盤からはずっと足の引っ張り合いだったパーティには、NPCの元凶を探る余裕もありませんでした。

 と、まぁ色々と反省すべき点がありますけど、要領をつかめばもっと楽しいプレイができるという確信が持てたとても良質なセッションでした。GMさん及びプレイ仲間の皆さんにはあつく御礼申し上げます。

 次はGMでプレイしたいゲームです。
 
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