2008年07月24日

なぜドラゴンはTRPGの主役になりえたのか

 またしても地震。怖いです。
 東北地方の方々、お気をつけてください。

 今日も前回の続き。
 MWGからTRPGに移行するプロセスの中で生まれたボス敵の存在についてです。

◆◆◆

 TRPGは1人1キャラで、陣取りなどの大局的目標がなくPCを保全することが目的の戦闘ゲームですので、プレイヤー側は戦力を集中し各個撃破を仕掛けるのが常道になっています。
 これに対してモンスター(GM)側は、無制限の防御判定と数値修正、ACなどの1キャラを保全するシステムの壁に阻まれ、弱い敵はいくら出しても歯が立ちません。
 互角以上の敵を出しても、PCの保全という微視的な目標しかないTRPGでは、プレイヤー側の敗北はがっかり感しか与えません。ゲームとしてより多くの遊び手を幸福にしなけはれば支持されない実情を顧みれば、GMは最終的には1人負けするように計らわなければなりません。

 ここまでが前回のおさらい。
 
 この時点でTRPGはウォーゲームとしての目標がレイムダックし、物語作りを演出するトライアル的な存在になっていきます。すなわちTRPGでの戦闘は、勝敗よりもいかに試練として試し甲斐があるかの方が重要になってきたのです。
 そうなると、戦闘に対するコンセプトそのものが変化していきます。もはや用なしとなった「陣」と「駒」は抽象的なイメージに簡略化され、プレイヤーが連携して集団行動を取ることを前提に対処されたモンスターが用意されるようになったのです。

 つまり、連携するプレイヤーたちに対し、連携はしないが互角に戦える相手であり、なおかつプレイヤーたちをジリ貧にして士気を下げさせない短期決戦に向いたモンスターです。
 そこで登場するのが、圧倒的な巨体とネームバリューを誇る単体のボス敵です。

 PCの堅牢な数値修正やACをブチ抜き、一撃でHPの1/3から半分ぐらいを奪う圧倒的な打撃力と、集中砲火を受けても数ターンは耐えうるHP。それに後衛の油断を突く全体攻撃…。
 このような圧倒的なモンスターを1体だけ出すことにより、プレイヤー側に一か八かの大勝負を感じさせる緊張感を与え、負けた時のがっかり感を軽減させることができます。仮に負けても、あんな圧倒的な敵では仕方がないと甘受できますし、1体だけなら倒せる望みを保持し続けることができます。すなわち、悔しさの矛先がGMに向きません。さらに、全員が同じターゲットを攻撃しているので、プレイヤー側の目が戦功争いよりも団結に向き、プレイヤー間にまとまりがつきます。

 すなわち、団結し役割分担を駆使するプレイヤーチームvs圧倒的な攻撃力を持つ強大モンスター単体という構図がTRPGの戦闘としてもっとも白熱し、なおかつ娯楽として安泰であるということです。

 幸運なことに、ファンタジーTRPGの世界ではドラゴンというボス敵の条件を満たしたモンスターがいました。
 実の所、聖ゲオルギウスやジークフリードなど神話伝承には竜退治のエピソードがありますが、当時のファンタジー愛好家たちの聖書であった『指輪物語』にはドラゴンは登場していないわけで、ガイギャックスらがどうしてドラゴンをタイトルに冠するほど主要なモンスターに抜擢したのか定かではありません。
 もし、ガイギャックスらが指輪物語に固執していたら、バルログのような妖魔がボス敵に設定されていたかもしれません。あるいは、版権上バルログの名を出すことが出来なかったが、ボス敵のロール・モデルとして意識していたかもしれません。いずれにせよ、彼らの手によって神話伝承の存在であったドラゴンはゲーム世界の登場人物として設定がつけられ、今日のファンタジーでも使われている姿へと定着していったのです。

 日米ともにTRPGで最も好まれているのはファンタジーですけど、それは1人1キャラ戦闘に最も合致したドラゴンというモンスターを創造できたことが一因としてあると思います。
 SF、サイバーパンク、スチームパンクなどファンタジー以外のTRPGではドラゴンに相当するボス敵を創造することができず、結果としてトライアルの対象としてファンタジーほど明確なモチーフを提唱できず、ゲーム目標がぼやけてしまっています。そのモチーフの不明瞭さが、シナリオ創作やプレイヤー募集においてネックとなっているのでしょう。

 続きは次回。
ラベル:TRPG ドラゴン
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2008年07月20日

GMは娯楽文化としての立場のために負けなければならない

 社会人層のTRPG離れが著しいという意見がありますけど、まず趣味と仕事を両立できる環境を育てないといけないという点で、全ての趣味文化共通の悩みと云えましょう。

 まずは、休日は静養以外に選択肢がないという層に、いかに精力・活力をつけさせるかという課題を解決しないとダメでしょう。そのためには滋養ある食事、適度な運動と健康な体作りが必要ですけど、まず第一に大事なのは、十分な睡眠を取ることです。それも夜間の睡眠は大事です。

 そのためには夜間のネット利用は慎むべきなのですが、それにはまず「昼間にネットで遊んでいても軽蔑されない」環境にしなければなりません。昼間ネットにいるのは無職引き篭もりだけなんて揶揄が罷り通っていたら、誰だって夜しか利用しませんよ。

 今日は前回の続き。
 このBlogはあくまでもTRPGが生活の中で両立できている人のためのBlogです。
 
◆◆◆

 防御判定によって1人1キャラの戦闘ゲームはようやくバランスが取れ始めてきました。だが、バランスが取れたことにより今度は設定の中から非合理的な存在が生まれ、ゲームとしてムダが出てき始めてきました。

 それは「駒」の重要性です。

 TRPGの戦闘システムは攻撃判定vs防御判定のダイスバトルが基調ですが、ユニットの戦闘能力を表現するために実力を数値修正にて補正しています。
 これによって、数値修正およびダイス目による達成値で防御判定の最低値を上回れないユニットが打撃を与えることが不可能になりました。これはクリティカル・ファンブルによる無条件成功・失敗の要素が発明されることにより完全ではなくなりましたが、仮に攻撃が成功しても圧倒的な数値修正差がつくほどの相手ともなればACやHPも総体的に高く、十分なダメージを与えられないのが実情です。

 こうなると、モンスター側はいくら数を揃えても「叶わない相手には徹底的に叶わない」ことになります。何百とゴブリンを揃えても、高レベルPC相手に一撃を与えることすらできません。
 DM側は果てしない徒労を強いられ、プレイヤー側は退屈な虱潰しになるわけで、この時点で「弱敵」の存在がいらなくなるのです。

 防御判定と数値修正によって、もはやTRPGでは頭数は戦力たりえない要素になったのです。「守るべき存在のいる侍と雑魚1万、どっちが強い」という問いに侍だと即答できるという『天羅万象』のデザインコンセプトは別に突飛な発想ではなく、『D&D』の時代からあるTRPG戦闘システムの極端な結論でもあったのです。

 こうして、TRPGではプレイヤー側と同等以上の数値修正を有したモンスターとの戦闘が伯仲することが判明したのです。各レベルごとに互角だとランク付けされたモンスターか、用意されたPCと同じレベルのNPCが自然に伯仲する相手となります。

 互角の戦力同士になって、ようやくTRPGはバトルゲームとしてバランスが取れたかに見えましたが、ここでまた不合理が発生したのです。

 それは「DMが勝つ」ことの重要性です。

 数値修正的に互角の敵を揃えてもプレイヤー側は戦力の集中と各個撃退によって、戦力を削ってくることが可能です。対するDM側はそうした戦術を多用することはアンフェアとされ、極力無軌道に行動することが求められています。
 これは増援という形で新たに戦力を増強できる立場のDMへの抑止効果もありますが、何よりもプレイヤー側が不利な状況に立たされることによるプレイヤーの士気低下が、思った以上に深刻な悪影響を与えることが分かったからです。
 TRPGではモンスター側の勝利が、複数いるプレイヤーに不幸な虚脱感しか与えなかったのです。

 ゲームならば娯楽として最大多数の幸福が実現したほうが安泰なのですが、戦闘ゲームへと一歩微視的な立場で楽しむTRPGではPCの保持以上の大局的な楽しみを提示しづらく、より多くの遊び手を楽しませるには複数いるプレイヤー側がキャラを保全しやすい立場にあるのが道理になります。
 すなわち、DMが1人負け役を引き受けることが、多くの遊び手が楽しめるためには必要だったのです。そのためにTRPGではモンスターはあくまでも非知性的であって、DMはあくまでもプレイヤーの楽しみを引き立てるために戦術を多用してはならないというマナーが次々と提唱され、不文律として成立しています。

 かくしてTRPGはより多くの遊び手を幸福にするために、戦闘ゲームからPCの活躍ぶりを演出する出来レースへと変貌することになったのです。もはや戦闘は伯仲はするが最終的にはプレイヤー勝利へと流れていくのが最も妥当な方向になりました。
 
 もちろん、これではゲームとしての楽しさが大きくレイムダックしてしまいます。いくら多数の幸福のためとは言え、勝者と敗者の数的バランスが取れてこそよきゲームとなります。多数でDM1人に勝っても大した優越感は得られないのです。
 多数のプレイヤーと1人のDMという圧倒的な人数差の中で、勝者敗者のバランスを取るためにはどうすればいいのか…。
 それは次回。
ラベル:TRPG
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2008年07月13日

ミニチュアウォーゲームからTRPGになるまでの間にあったゲーム要素の転換

 よく「次回」などと銘打ちながらテーマを続けないことがあります。
 それは単純に反応が鈍かった記事でして、アクセス数が伸びなかったり、はてなブックマークがつかなかったりして、あまり食いつきが良くなかった記事はテーマとして打ち切りにしています。
 食いつきが悪いテーマを根気よく続けるのは時局を読めないわけですし、そういう記事は公表するよりも下書き段階で暖めた方がよい。むしろ今スラスラ書ける話題に転換した方が硬直せずに続けられるというのが僕の姿勢です。

◆◆◆

 TRPGはミニチュアウォーゲーム(略:MWG)の派生として生まれたことは本Blogで何度か取り上げました。MWGに興じていたG・ガイギャックスらのグループが、それまでユニット(軍団)を率いていたMWGを1人1キャラにしてはどうかと思いつき、そこから試行錯誤を経て『D&D』の前身である『Chain Mail』が誕生しました。
 そして『D&D』からモンスター側と審判の役割が統合されたDMという遊び手が発明され、1人1キャラ担当のプレイヤー数人対モンスター集団を1人で扱うDM1人という図式になりました。

 これがMWGからTRPGが派生した「神話」なのですけど、この派生に至るまでに、どのようにゲームが改造され、コンセプトが設計され直されたのか詳細な記録は残されていません。
 今回は、MWGからTRPGに移行するまでの間にどのような変化があったのかを推察してみようかと思います。

◆◆◆

 MWGはSLGであり、その基本はチェスと同じ陣取りゲームです。
 陣取りゲームは各駒の性能を活かし、行動範囲が決められた盤面上で交互に駒を動かし、最後は陣取りを制して相手を詰みにすることを目的としたゲームです。MWGは駒がユニット、盤面がジオラマや六角マスのボードに変化しただけです。

 さて、チェスやMWGは共通の特性が1つあります。それは最終的な勝利のために、駒を生かす必要がないということです。陣を確保するために捨石になる駒、役目を終え盤を埋めるのみの駒など、駒は活かされるのみならず、殺されるためにも使われるということです。
 これは遊び手に、最終的な勝利のためにどう駒を使い、なおかつどう駒を捨てるかという視点を与えます。陣取りゲームの遊び手は犠牲を厭わないのです。

 これが1人1キャラになると、駒の死=ゲームオーバーですから駒を殺して陣を取る意義がなくなります。各個が自駒の保全を目的に動くので、プレイヤー側には陣取りの勝利という巨視的な見方をする人がいなくなりました。
 陣取りに勝つために、自分がゲームから脱落することを納得させるのは中々難しいことですし、それを他者に強要することはもっと難しいことです。

 この時点で、各個が自駒の生存のために動くプレイヤー側と、モンスターを活かすことも殺すことも自在なDM側とで遊び手の立場が異なるようになり、ともするとDM側の方が有利な環境になりました。
 駒を捨てられないプレイヤー側と、全体的勝利のために捨て駒を使えるDM側の方が手堅く陣を取れるでしょうから。
 この絶対的な戦力の不均衡を是正するために、後にTRPGの方向性を決定付ける観念が導入されることになったのです。

 それが、「無制限に使える防御判定」です。

 防御判定に成功する限り、無制限に駒を保全することが可能ですし、無数の敵にも対応できます。HPにも駒の耐久性を上げる効果はあるにせよ、無制限に駒を保全できる可能性を与えたのは画期的な観念と云えるでしょう。
 
 そしてさらにPCの生存率が高まるように、食らったダメージの総数を軽減できる装甲によるアーマー・クラス(AC)という要素も発明されました。これも無制限です。

 防御判定とACによって生存率が大幅に上がったプレイヤー側は、モンスター側との戦力差を埋めるべく従来の陣取りゲームでは想定外の戦法を取り始めました。プレイヤー側が集結し、DM側のモンスターを1匹ずつ各個撃退し始めたのです。陣取りをするために犠牲を強いることを辞め、とにかく生き残るために相手の駒を虱潰しにし始めたのです。
 この現象により、DM側も陣取りゲームをする意義が失われました。陣を守る必要がなくなったプレイヤー側が固まってモンスターを潰すことに専念するのですから、DM側の戦術も単純な戦力投入しかなくなります。
 
 かくして、1人1キャラという前提に無制限の防御判定、集結と各個撃破という戦法によってTRPGは「陣取り」という大目標を失い、結果として戦術ゲームから戦闘ゲームへと一歩微視的な立場で楽しむゲームへと変化していきました。

 さらにキャラの性能を表現すべく発明された「数値修正」によって、TRPGはMWGから完全に逸脱した新しいゲームと変貌していくのです。そこから先は「気が向けば」次回。
ラベル:TRPG D&D MWG
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2008年07月08日

ソード・ワールドの話題力

 『ソードワールド2.0』をようやくプレイしてきました。
 発売前にF.E.A.R的だという声がありましたけど、『アリアンロッドRPG』とは違う、紛れもなくかつてSWで体感したSNEのゲームでしたよ。
 世界観のくだらないムダ話で話が弾むトコとか、マンチキンというかセコい裏技……ターン終了の直前ごとにアンビエント歌ったりとか、ペットの蛙を手榴弾よろしく投げ込んだりとか……があったりとか。

 TRPGの数値修正で完璧なデータバランスを取ることは難しいもので、どこかに脆弱性があって不均衡なキャラメイクや戦法が生まれてしまいます。それでゲームがヌルくなったりすると糞ゲー扱いされるものですけど、TRPGに関しては完璧なデータバランスのゲームよりは、珍妙な裏技があって笑えるヌルさがある糞ゲーの方が楽しめるものです。
 コンシューマーなどのソリティア(1人遊び)ゲームだと、個人的な欲求を満たす目的でプレイしているわけで、そこにゲームの愛好者として高次な目的意識を求めれば技量の研鑽や隅々まで確認した見識など、エキスパートとしての求道を目指すのが自然です。
 そういう世界だと、道具としては扱いの難しい名器が玄人面しやすく尊ばれるものでして、ヌルさや奇天烈ぶりのあるゲーム=糞ゲーの烙印がたやすく押されてしまいます。自分を高い所に持って行きたいのですから、なまくら物は価値なしとされるわけです。

 一方、TRPGは対話で盛り上がった者勝ちのパーティです。歓談のネタとして道具を使うなら、それはいびつで滑稽な、突っ込み所満載だけどそこが面白い器の方が好まれます。
 こっちの世界は面白いもの勝ちであり、どんなに1人でゲーム通たらんと望む者としてヌルい糞ゲーだと感じても、そのヌルさ、奇天烈ぶりがセッションの面白さを加味する材料たりえるならば、名器よりはなまくら物の方が味があってよろしいとなるわけです。

 SWもそうでしたけど、どの卓に行っても笑い話になるネタがあって、それで笑い合ううちに自然と打ち解けあえるってのはこの作品の目に見えない実力なのだなと思います。

 
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2008年06月30日

遊び手が物語を自作するTRPGモデル 〜未完成ノートその4〜

 TRPGは物語再生装置だとし、その醍醐味は共有できる物語を共同制作していくことだとしている僕のTRPGは、遊び手に物語を作ることを要求します。シナリオの方向性について頻繁に判断を要求しますし、NPCもそれぞれの思惑のもとに自立的に行動します。

 そのせいでしょうか、僕のセッションにはオーバーヒートしてしまう遊び手が結構見受けられます。セッションを続ける気力が落ち、黙り込んでしまう人や、シナリオを放棄しようとする人など、物語を作る判断にギブアップしてしまうのです。
 結局、GMである僕が物語を収束し、GMの吟遊詩人で幕が下りるケースもしばしばあります。物語の舵取りをプレイヤーに任せたのに、先にプレイヤーが疲れてしまい最終的にはGMの1人語りになってしまう…。

 なんとかせんと、こっちも疲れてしまいます。

 そんなわけで、今日はGM・回転翼のシナリオにある対話ゲームの仕組みを少し整理してみます。デザインコンセプトの構想なので、例によってノート扱い。

◆◆◆

 僕もかつては葉鍵厨(『ToHeart』と『Kanon』の直撃世代)でしたのでビジュアルノベルの手法が影響しています。そしてBlog活動を始めてから、鏡氏や高橋志臣氏など、自由や創造性を重視するゲーマーの方々と意見合わせしてきた経緯もあり、TRPGを遊び手の自由な発想が活かされる創作ゲームとして形成してきたのだなと思います。

 遊び手が物語の主役であるべきと考えていますから、GMが干渉するのはシステムやタイムスケジュールなどの自然神的役割だけで、シナリオ展開は極力プレイヤーのやりたい事を成す事に専念します。

 僕にとってTRPGのシナリオは1つのゲーム作品であり、遊び手が異なるごとに違うセッションを提供できることを理想としています。遊び手がヒロイックを望めばヒロイックな展開に、ミステリーを望めばミステリーな展開ができる……。それを可能とするために、幾多の分岐が存在するシナリオ群を用意する必要がありました。
 遊び手の行動次第で幾多の分岐して存在するシナリオフラグの中から、遊び手が追い求めた展開にあったフラグが立ち、求めなかったフラグは封印されます。
 具体的にはそれぞれ目的と思惑、行動スケジュールを持ったNPCを複数用意し、遊び手が興味を持ったNPCを中心に物語が進みます。

 それだけだとビジュアルノベルそのまんまですから、複数の分岐NPCを個別に動かして、プレイヤー各人ごとに別のフラグを発動させます。これによって、パーティ各人ごとに物語上の役割分担をさせることができますし、個人目標とパーティ目標のジレンマを生じさせることもできます。
 もちろん、各人が個人目標達成のためにバラバラに行動しないように、定期的に集結させ、ミーティングの時間を取らせます。遊び手は自由に対策を考え、利害を調節することが可能です。

 多くのTRPGではキャラクターがなぜ冒険をするのか動機付けをするライフパスを用意していますので、NPCの設定はライフパスに応じるパターンに従って作ります。金銭を求めるキャラには大金の匂いをちらつらせたNPC、復讐者であるキャラには、復讐対象に関係ありそうな雰囲気のNPC、といった具合です。
 これによって、遊び手をシナリオから脱落しかねない行動……シナリオの舞台から抜け出そうとすることを阻止するようにします。

 シナリオのタイムスケジュールは曖昧でよいから行い、ゲーム時間1週間ぐらいで物語が自動的に収束するようにします。遊び手が友好的な行動をしなかった場合、最も関わりを持ったNPCが目的を達成し、関わりの薄かったNPCが犠牲になります。遊び手の行動に当事者感覚を持たせるために、NPCの行動には必ず他NPCの犠牲がつくように設定します。

 結果として、この形式はビジュアルノベル的に動く箱庭世界と分岐NPCの前に、TRPGのロールプレイと対話ゲームを以て遊び手自らが顛末を演出する展開となります。
 このゲームで遊び手たちは「自分たちはこういう価値観であり、こういう物語がしたい」という意志を明確にする必要があります。

◆◆◆

 …ざっとまとめてみたけど、これを簡単に理解させないとオーバーヒートさせちゃうんですよな。
ラベル:TRPG
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2008年06月26日

リアル薄刃乃太刀 〜インドの奇剣・ウルミー〜

 『るろうに剣心』にて、刀狩の張が使った「殺人奇剣・薄刃乃太刀」のモデルになったであろう剣がインドにあることを知り、好奇心に任せて調査してみました。
 
 その名をウルミーと云います。
 この武器、TRPG系資料では『武器事典(市川定春著/新紀元社)』、『武器だもの(武器ドットコム著/幻冬舎)』、そして『The Compendium of Weapons,Armour & Castles(マシュー・バレット著/パラディウム・ゲームズ)』にも掲載されていません。当然ながら、『D&D』、『T&T』など、TRPGにはまったく登場していない武器だと思われます。

 Urumi/ウルミーはインド南部・ケララ州に伝わる伝統武術・カラリパヤットで使われる剣です。ウルミーはChuttuval/チュッタバル(コイル状の剣ほどの意)とも呼ばれ、英語ではフレキシブル・ソードと訳されています。
 長さは4〜5.5フィート(120〜165cm)。グリップには護手がつけられています。何より特殊なのはその刀身で、粘性の強い鋼で作られたとおぼしき刃はゼンマイのように巻くことが可能です。普段は巻いたり、ベルトのように体に巻きつけて所持するようです。戦闘になると鞭のようにしごいて伸ばします。刃が複数本あるウルミーも存在します。
 剣ではあるが攻撃方法は鞭に近く、乱戦に向いているが自傷する危険も高く熟練した技量がいる武器であり、カラリパヤットでは一子相伝の武術とされています。ケララ州では突き技による剣術が発展しなかった(おそらく暑さの影響で鎧が発展しなかったからかもしれません)関係でウルミーが広まったとの事。

 ケララ州に伝わる叙事詩「Vadakkan Paatukkal」ではウルミーを操る女剣士・ウンニアルチャの物語があります。この叙事詩が作られたのは16世紀のようですから、その時期にはウルミーが存在してたと思われます。

 …以上がWikiなどで調べたウルミーの大まかな解説です。
 では実物がどんなものか、YouTubeにあった画像をどうぞ。

■Urumi fight in Kalarippayattu, Kerala



 もし『アリアンロッドRPG』で再現するなら、こうでしょうか。データは適当ですので使用するなら各自ローカライズしてください。

▼ウルミー
種別:長剣 Lv:4 重量:3 命中修正:−1 攻撃力:+5 行動修正:−1 射程:至近 装備部位:片手 価格:100

◆参考

 カラリパヤットとマラカーンプ
 インド武術を紹介するサイト。Vadakkan Paatukkalが掲載されています。

◆追伸(08/8/1)
 
 『GURPSマーシャルアーツ』にウルミー載っていました。
 これは盲点。
 
 
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2008年06月22日

語り部よりも映像 〜TRPGの戦闘は時代遅れになったのか〜

 親御さんが騒いだために白雪姫を25人で演技したという話をネットで知りましたけど、たとえ25人を並べても舞台の立ち位置で中央か隅っこかに分かれるのだから、結局平等にはなりません。
 そんなら25日かけて配役を持ち回りし、25回公演した方が平等だと思いません?

 今日はTRPGの戦闘が時代遅れになったのではという話。

◆◆◆

 TRPGがミニチュア・ウォーゲーム(MWG)から派生したのはこれまで何度か取り上げました。MQGに興じていたガイギャックスらのグループが、1人1駒だと駒に愛情湧いて楽しくない? と考えて作った戦闘システムが『チェインメイル』であり、そこに物語的要素……『指輪物語』的ファンタジーを演出するギミックを搭載したのが『D&D』です。
 『D&D』から31年。TRPGは大方『チェインメイル』で形成されたバトルゲームの基調を踏襲しています。

 『MGS4』をプレイしつつ、僕は思うのです。
 TRPGが提供するバトルゲームは、FPS(Frame Per Second/一人称シューティングゲーム)の出現によってその優位性を完全に喪失したのではないのか、と。これにMt:GなどのTCGを加えれば、TRPGのバトルゲームはより楽しく、より訴えるものが大きく、より手軽な存在になった他のゲームによって、ゲームを楽しむうえでの醍醐味を剥奪されたのではないのでしょうか。

 TRPGの戦闘システムの何が楽しいのかと云えば、

1:自分で設計したキャラを操り、バトルゲームに参加する楽しさ
2:駆け引き、やり取りのゲームの楽しさ
3:戦闘をロールプレイする楽しさ

 このうち、2に関してはこの記事にて取り上げています。TCGはカードという便利な道具を使って、TRPGのやり取りの道具であるコマンドを分かりやすく演出しています。また、収集と編成というTRPGにはない要素によって収集欲を発動させ、ただ記載されたデータを記述するTRPGのコマンドよりも高いモチベーションを醸し出しています。

 FPSに取って代わられた楽しさと見ているのは1の楽しさです。
 僕はそんなにFPSをプレイしているわけではないので確信は持てないのですが、TRPGはキャラクターの視点になってゲーム世界に投影をするという一体感が楽しいゲームでもあるわけで……あなたもこんな素晴らしい体験ができるよって呼びかけはガイギャックスですらしている……、やっぱりそれは対話によるイメージよりも、圧倒的なグラフィックと音響によって作られたデジタルゲームの方が強いんじゃないのかな。
 
 あと、3の楽しさはどうでしょうか。
 エキサイティングな戦闘こそ楽しいという人もいますけど、それならFPSの方がエキサイティングです。中にはモンスターを狩ること自体の快感が楽しいと説く人も昔はいましたけど、それなら『モンスターハンター』やればいいのだし、より率直に血が見たいなら『POSTAL』でもやればいいのではないでしょうか。

 ちなみに僕は、『POSTAL』の出現を以て、『バイオレンス!』のゲーム的使命は完全に終わったと思いました。

 他にも色々あるでしょうけど、僕はTRPGの戦闘システムが2008年現在、他のゲームよりも優れている要素は、新しく見つけない限りないのではと思っています。あくまでもTRPGの物語を彩る道具であり、メインとして醍醐味の第一位に設計するのはどうなのでしょうか。

 あと、この手の主張をすれば、別に優れている要素などなくてもいい、伝統を堅持すればファンはついてくるという意見を云う人もいるでしょうが、そういう人たちは今TRPGではなくMWGを好んでいるのではないかとも思うのですよ。

◆関連記事

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ラベル:FPS TRPG
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2008年06月15日

一般装備の存在感が薄すぎる 〜TRPGのセッションに直結しないデータ・設定〜

 『シルバーレインRPG』を購入。
 システムや世界観についてはまだよく分からないのですけど、このキャラクターシートだけはいただけません。レイアウトがゴチャゴチャしてて、システムの主要箇所と端書の区分が出来ておらず、これではどこから目を通せばいいのか、目眩がしてきます。
 はっきり云って美しくない。せっかくフルカラーにしたのに、デザインの面でも機械的過ぎて興を殺ぎます。グループSNEの悪い面が出たなという感があります。

 今日はTRPGの中で存在感が薄れているデータ・設定についてです。

◆◆◆

 TRPGでいわゆる一般装備と呼ばれるデータは、データとして省略される傾向にあります。キャラクターシートでも端書設定であり、多くのGMが一般装備にかける手間と時間を惜しみます。そしてセッションではまず見向きもされません。
 そもそもキャラクターの不足を補う意味で必要だった一般装備は、技能の細分化・データ化によって取って代わられた印象があります。10フィート棒で地面を叩く必要は、GMが親切丁寧に使う場面を提示してくれる感知系技能チェックによりなくなりました。
 データとしての必要性がなくなった以上、遊び手の日常にもあるありふれた道具類に過ぎない一般装備に、さしたるネタになる力があるわけもなし。データとしても、設定としても掲載されている必要性が著しく低い一般装備は、もはや装備欄の穴埋めとして掲載されているに過ぎない箇所とも云えます。

 もちろん、こんなことを云えば、「それは間違いだ。一般装備はTRPGで十分活用されている」という声が聞こえてくるかもしれません。それで現場に戻れば、まるでコラムを反証するかのようにあちらこちらで一般装備が重要視されるセッションに出会えるのではと密かに期待していたのですが、そういうことはありませんでした。
 まぁ魑魅魍魎の類が放つ幻聴だと思っています。
 
 一般装備は役に立たなくなったデータとして顕著な例ですけど、TRPGが多くある趣味の1つになって、非電源ゲームとしての立場が強くなった現在、システムと直結しないデータや設定が今後TRPGの現場にて必要であり続けるのか、疑問に感じます。

 TRPGの舞台設定は、ゲームとしての必要範囲を超えた膨大な世界観を示すものが多くあります。かつてTRPGが物語文化の最先端であった時代、TRPG作品はファンタジーの大本である『指輪物語』をはじめ、ファンタジー物語の諸要素をデータ化した百科事典としての役割がありました。今でもTRPGのルールブックには、ゲームシステムとは直結していない、読み物として機能している設定が数多くあります。

 翻って現代、別にTRPGゲーマーが『指輪物語』に精通している必要性……昔はTRPGゲーマー間でファンタジー知識への優越感ゲームがあった……も、TRPGが物語文化の最先端である必要性……昔はゲームイベントで人集めができるTRPGゲーマーはラノベファンなどにブイブイいわしてた……もなくなり、TRPGが無理して膨大な設定を用意する必要姓は著しく薄れています。

 さらに云えば、同じTRPGでも日本とアメリカとの文化の違いというのも微妙に影響していると僕は思います。
 アメリカで流行したTRPGは『D&D』をはじめ、その多くが追加ルールや設定を拡大させたメガクラスの作品ばかりです。それに反して、日本で代表的に遊ばれているTRPGは『ソード・ワールド』や『アリアンロッドRPG』を筆頭に、コアルール1冊に遊びのエッセンスを凝縮したゲームが好まれています。
 日本で多く行われているフリーセッション形式のコンベンションでは事前にどのゲームが用意されるか分からないことが多く、サプリメントや設定集まで持参してくる人は自ずと限られてきます。
 さらにフィギィアやフロアタイルなどのガジェットも省かれ、パーティゲームとしてお菓子や飲物の傍らに置ける程度のものに用具が凝縮されたプレイスタイルが定着しています。コンベンションにはダイスと筆記用具のみで現れ、むしろお菓子や飲物の方に気配りを見せる手弁当な参加者も多くいます。
 それに輪をかけて、参加者がルールブックを持参してこないだろうと、セッションに必要な箇所だけコピーして配布する親切心あふれたGMも出るようになり、もはやキャラクターシートに記載される主要情報以外は使われもしないし、読まれもしない。
 
 はたして、今後TRPGにシステムと直結しない設定、読み物としての役割は必要なのでしょうか。あるだけムダであり、ゲームに必要なデータの分量に割いたり、余分な設定など省いて文庫版などに小型化するべきなのでしょうか。

 確実なのは、このままでは使う機会は徐々に失われる一方だということです。「そんなことはない。活用されている」という声が誰の耳にも魑魅魍魎の幻聴にしか思えなくなってからでは遅いのです。
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2008年06月10日

TRPG業界で新規参入者が減少している3つの理由

 先日もコンベンションで『Pendragon』をGMでプレイ。
 30越すとGMも肉体労働だなと帰宅したら、秋葉原でとんでもない事件が発生してたとのこと。セッション中に家族から安否を気遣われたのは初めてのことです。
 犠牲者の方々には謹んで哀悼の意を表明します。

 今日は短めに、TRPG業界でなぜ初心者が減ったのかを少し。
 
 昨今のコンベンションでTRPG初心者が減ったという声は色々な場所で耳にします。このことに関し、多くの人が業界の衰退であると感じ、販売業者、デザイナー、ユーザーなどが活性化しなければ危うい事態であると思ってるでしょう。

 だが、業界の停滞を問い質す前に、そもそも新規参入者が安定して確保できる状態が自然だという期待感そのものが、現代に通用するのか考えてみてください。
 僕はむしろ、TRPG業界において初心者が減っているのはごく自然のことだと考えています。その理由は3つあります。

 理由の1つは、趣味文化が多様化していることにあります。
 かつてファンタジー物語の文化でコミュニティを築くとあらば、TRPGをするか創作同人をするかしか選択肢はありませんでしたし、情報を得るにもゲーム総合情報誌かライトノベル誌が主要メディアで、その双方にTRPGはありました。
 80年代においてTRPGは、内にウォーゲーム愛好家、CRPG愛好家、ライトノベル愛好家、ゲームブック愛好家など、多くの物語文化愛好家を包括する物語文化におけるメインフォルダの役割を担っていました。なぜなら、当時はこれらソリティア(1人遊び)および小規模な愛好者を纏めるコミュニティを築くには場が未整備であり、ゲームイベントで集客力のあったTRPGに頼っていたからです。

 現在は小説、漫画、アニメ、映画、ゲームとファンタジーを扱ったメディアは数多く存在し、それらすべてがインターネットというミニコミの発達により、独自にコミュニティを築くことが容易になっています。今やTRPGは物語文化の中で「多くある趣味の1つ」に格下げされています。無理にTRPGに触れずとも、物語文化を堪能できるメディアはいくらでも存在するのです。
 すなわち、80年代のようにファンタジーを楽しむならTRPGは避けては通れないと思う人はいなくなったのです。

 2つ目は、これはもっと単純なことですけど、若者自体が減っているということです。

 TRPGは80年代からずっと中高生をターゲットに展開をしています。物語文化の中で活動しているのですから、当然ながら情緒的で多感、物語にどっぷり傾倒してしまうティーンを対象に商売をするのは至極当然なことです。
 でも、若者自体が減少しているのですから、マーケットは縮小して当然のことです。

 そこで80〜90年代にTRPGを楽しんでいた現在の30〜40代の、元物語文化愛好者に働きかけているのが現在の業界なのですけど、このバブル組からロスジェネ世代に当たるこれらの世代は、現在とかくケチになりがちです。金銭面はもとより、時間という資源においてもまとまった出費をすることを渋る傾向があります。
 すなわち、自動車など高価で維持費のかかる商品を嫌うのと同様に、TRPGなど事前準備に時間がかかり、セッションにまとまった時間が必要な上に、メンツの都合でいつでも望み通りのプレイができるとは限らない不確実な趣味に払う機会費用を渋るという懸念が存在するのです。

 曰く、「TRPGをする服がない」ということです。

 結局、現在TRPGに興味を持っている人は、物語文化の中でTRPGというサブフォルダまで深くアンテナを伸ばすくらい好奇心や学習意欲が強く、なおかつ事前準備を黙々とこなし、ゲームイベントのために休日の日中をレクリエーション活動のために費やす気のある行動力を持った人だということになります。

 以上のことはTRPGに限らず、趣味文化の世界ならどこでも抱えている問題です。今はそれぞれの趣味が独自に情報をやり取りし、コミュニティを築きやすくなった時代です。多くの人が業界の実像をリサーチし、機会費用を算定した上で、自らの有益を確信してから趣味の世界に入ります。
 趣味人が視野を定めることに賢明になった……これがTRPG業界に初心者が減ってきた第3の理由と云えましょう。

◆関連記事

外に語る時代ではなくなった 〜TRPGブロガーがアニメ版ナイトウィザードに冷淡だった一因〜
労力は課題であって経費ではない 〜TRPGのコストとプロブレム〜
ラベル:TRPG
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2008年06月03日

『とらぶる☆エイリアンず』初プレイ

 『とらぶる☆エイリアンず』を初プレイしてきました。
 とてもタフなゲームです。簡単とか難しいとかいう以前に、今まで経験したことのない異質なTRPG……それも『D&D』の系譜から完全に外れた『ディプロマシー』の系譜に入る対話ゲームでした。紛れもなく、現在発売されているTRPGの中でも最も挑戦的な作品の1つと云えましょう。

 とにかく静かです。
 なにしろ対話のほとんどをメモでのやり取りで行っているのですから、誰もが黙々とメモを書き続ける。メモを取ってない時は常に相手の顔色を窺っているわけで、そこでもそこはかとない緊張が漂っています。周囲の卓がウォーゲームで盛り上がる『D&D』やコアなファンが集う『ウォーハンマー』だったので、黙然としたとら☆エリ卓はまるで異世界。僕のようなプレイの半分以上をムダ話に費やすタイプのプレイヤーにとっては完全ビジターだったわけですよ。
 
 でも、静かなプレイ風景とは裏腹に、ゲーム展開は大荒れだったようです。「だったようです」とありますけど、このゲームはPC同士が正体を隠していて、互いの正体を探りながらプレイしています。それだけだと「誰が味方か分からない」状態ですけど、このゲームにおける妨害行為(レイド)もこっそり行われるものですから、「誰が敵になったかも分からない」状態にもなってややこしい。
 
 夜中に襲撃されたから反撃したら、実は他PCからのレイドだったりして、それでも灯りをつけたら血の着いた刀を持った僕PCと血を流す襲撃側PCを見られて、第3のPCが僕に濡れ衣を被せ拘禁。実は第3のPCもマンイーターで口実をつけて僕PCを食べようとしたので、僕は食べられそうになった所でテレポート脱出して逃亡……なんてことが水面下で行われていたのですが、プレイ中は誰も何を起こしたのかおくびにも出さないのです。

 ちなみに、今回のメンツは以下の通り。

・ドライバーにしてエージェント/正体:火星人
・研究者にして大富豪/正体:秘術使い
・戦闘エリートにしてラッキー/正体:マンイーター
・謎の小学生にして大富豪/正体:未来人 (回転翼PC)

 火星人は「隷属」、秘術使いが「独自」、マンイーターと未来人(僕)が「根絶」だったわけで、誰1人「防衛」側がいないという事態で、云ってしまえば誰もシナリオをマジメにクリアをしようという選択をしなかったわけです。
 回転翼は最初のアイデンティティ選択で「マスコット星人」「ウォーモンガー」「未来人」の3種が出ていて、マスコット星人を選択すれば防衛陣営もプレイできたのですが、プレイ前から懸念していたことがあり、あえて根絶陣営を取りました。

 ある懸念とは、防衛陣営より隷属もしくは根絶陣営に属してシナリオの善処……人類のために戦うようなありふれた物語より、侵略者として暗躍する隷属、根絶陣営の方が遊び手としては新鮮であり、人気が集まるのではという思いでした。
 それはGMさんも周知だったようで、当初は防衛陣営中心だったパーティがプレイを続けるにつれ、隷属・根絶陣営の方が好まれるようになり、シナリオはgdgdになることが多くなったとのことです。

 然るに、とら☆エリの場合は単なる防衛・侵略という単純な枠組ではなく、人類を利用することを目的とする隷属側と、人類を滅亡させようとする根絶側との間にも対立させるようなシナリオを組む必要があるのです。
 今回のシナリオも、隷属側に属するNPCの暗躍がテーマでしたので、結果として任務失敗で防衛できなかったのですが、隷属陣営の勝利になって根絶陣営に経験値は入りませんでした。

 そもそも、同じ根絶陣営にいて、手が組めるはずの相手がマンイーターでは気が許せません。他の人たちも僕のムダ話が災いして、僕の正体が特定できなかったようです。
 シナリオの成否と同等以上の価値を持つ正体チェックにおいて、正解したのは僕が1人だけ。他の皆さんに比べて僕はメモのやり取りをせず、正体特定の推理に集中してたわけで、そっちでは僕1人辛うじて抜けたのですが、最終的に1人で逃亡したのと陣営側が勝利しなかったのが災いして経験点は10点と凡打でした。
 最後、機構に連絡してNPCを討伐させれば根絶陣営の勝ちだったのでしょうけど、残念ながら中盤からはずっと足の引っ張り合いだったパーティには、NPCの元凶を探る余裕もありませんでした。

 と、まぁ色々と反省すべき点がありますけど、要領をつかめばもっと楽しいプレイができるという確信が持てたとても良質なセッションでした。GMさん及びプレイ仲間の皆さんにはあつく御礼申し上げます。

 次はGMでプレイしたいゲームです。
 
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2008年05月25日

RSS広告につきまして

 Seesaaに新機能が追加されたそうです。

Seesaaブログ、機能強化と新機能追加のお知らせ

 記事のページリング(記事の上にある「次の記事へ」というやつ)や再構築の自動化など、何かと便利な機能がつく一方で、問題となっている機能もあるようです。

Seesaaを利用されているブロガーへ([玄兎庵 ; チラシの裏]さん)

 僕はTRPG系Blogの活動自体を知らしめるために、アクセス向上に努めることは悪くないという姿勢で活動しています。そのために方々にRSSを配信してたりします。
 しかし、そのRSSに広告を立てられるのは問題です。
 狭い趣味の世界で愛好者相手に活動しているBlogなもんで、アファリエイト活動に関しては厳しい見方をされがちです。せんだって、きまぐれTRPGニュースさんにアファ目的Blogに誤解されるかもと指摘したときも、指摘すること自体が残念な対応だという意見を戴いております。それぐらい過敏なことなのでしよう。

 そもそもTRPG系Blogで営利を得ることなど、誰もが絵空事でしょう。愛好者相手なのだからサイドにTRPG関連書籍のAmazon広告を載せたとても誰が買うわけではなく、まぁほとんどの人は装飾目的かと思います。僕もお飾りです。

 だが、ここでご報告しますと、この回転翼…、すでにルールブック1冊変えるほどのお金をSeesaaから戴いております。

 Seesaaには記事ごとにアファリエイト広告がつくキーワードが設定されます。別に消すのも面倒だからそのままにしてましたけど、実はこのキーワード広告で月100円前後、誰かが買い物をした月にはそれ以上の広告収入を戴いております。
 んで、今まで活動してきた年数は右にある通り…。

 許せ諸君。

 んで、アファリエイトはRSS広告も含めてしばらく様子見します。

◆:追記
 きまぐれTRPGニュースさんとこのRSSリーダー見たら、ひどい事態に。これはやはり歓迎するべきではありません。今後RSS広告は送らないことにします。
ラベル:RSS広告
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2008年05月24日

名を残さなかった先輩の後を歩んでいる 〜TRPGブロガーという者〜

 そろそろ鰻が食べたい季節なんですけど、名店と呼ばれる所でも中々理想的な鰻丼にありつけない。困ったものです。

 今日はTRPGゲーマー論を続けている僕のBlogらしく、TRPG系ブロガーの話。

◆◆◆

 TRPG系Blogは専門的な趣味の世界を扱う業界ですから、普通にTRPGのことを話題にしている分には、部外者の注目を得ることは稀でしょう。おそらく、閲覧者の多くが同じTRPG愛好者かと思います。

 そんなTRPG系Blogで活動しているTRPG系ブロガーは、良くも悪くもアマチュアの有志です。他の業界のBlogにならありそうな、業界関係者が専門的見識を開陳するエキスパートでもなければ、広く情報収集をしてニュースBlogとして活動しているミニコミでもない。
 読者と専門知識、経験、見識などどれもが大して差がない、人によっては読者の方豊富だったりする業界です。もちろん、読者など意識していない日記として話題にしている人の方が多いのでしょう。
 ほんと、草の根です。

 そんな業界ですから、ほんの1年ばかし博識ぶったりしても大した影響力など持てやしません。そもそもTRPGそのものが学生の間で広まったゲームであり、80年代の知識人階級的なヲタク文化の影響が色濃くあります。どこのサークルでも、博識を売りにする田舎名士めいた「先輩ゲーマー」がいて幅を利かせているものです。
 生半可な知識や経験を披露した所で、どこの馬の骨か知らない者に対する評価は冷淡なものです。好意的な評価をするべく活動している人もいますが、彼らの目も限界があります。

 そして当然ながら、人によって今まで培った環境、現在の環境、経験から培った価値観や今後への展望、すべてが微妙に異なるものです。意見や経験など違いがあって当然です。世慣れしていない人は、そうした境遇の違う人が下す評価の冷淡さに打ちひしがれ、静かにBlogを閉じていくものです。

 ほんとに読者に自分のこと伝えたかったら、3年は続けるべきです。3年活動すれば自分を取り巻く環境も変化し、尖っていた開始当初のモチベーション……誰しも、心置きなく喋る場を得れば、人目を引こうと思いっきり実社会の鬱憤話をするものです……も丸くなり、自然体に活動できます。読者の方も3年も経てば、自分がどのような奴か大体察することができるでしょう。
 
 さて、TRPG系ブロガーの多くが草の根の有志なのは冒頭でも云いましたが、まったく業界の注目を浴びていない日陰者なのかと云われれば、それも違います。
 TRPG系Blogは僕のような論考専門Blogも含めて、インターネット開闢以前から各地のサークルで、同人誌や機関紙などの形で行われていました。全国的な交流がなかった時代、多くのゲーマーがTRPGについて語り、論考を書いたものです。サークルの機関紙など読者は10人前後から始まるものですけど、それでも立派な言論活動でした。
 現在、TRPG系Blogを運営している人は、そうした執筆活動をしてきた名もなき有志ゲーマーたちの裔に位置する者たちではないでしょうか。
 彼ら有志ゲーマーの活動は非常に微々たるもので、数え切れないほどの記事が忘れさられたことでしょう。だが、かつて有志がいて、自分たちがその道を歩いている……それで十分ではないでしょうか。

 少なくとも、僕はかつてずっと背中ばかりを眺めるだけだった先輩ゲーマーとようやく肩を並べることができたのですから。
ラベル:TRPG
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2008年05月19日

なぜTORGは後が続かなかったのだろう…

 書棚の整理してたら、『TORG』のカードが破損してたのを発見しました…。
 予備がないので、今後のことも考えて自作することにします。
 
 それにしても、『TORG』は僕ら70年代半ばの『RPGマガジン』育ちの世代にとって黒船級のゲームでありましたが、後が続かなかったという感があります。翻訳ゲームですし、シリーズとして物語が完結してしまったというのもありますけど、あれほど影響力のあったゲームでありながら、その後のTRPG業界に痕跡を残さなかったのは不思議です。復刊,COMでも最上位の復刊希望作品だけに「使命が終わった」状態だとは思えないのですが、絶版になって久しいから知らない人も多いのでしょう。

 『異界戦記カオスフレア』が後継だと思ってた時期がありましたけど、ファンタジーにサムライを出す程度ではマルチジャンルと呼ぶのは少し違うのではと『TORG』を再読して感じました。活劇ヒーローが舞台によってはハードボイルドやホラーを否応なくプレイさせられる、ある意味暴力的なシステムあってこそのマルチジャンルというものです。

 なにより、TRPGにとって宿命的なまでに固定されていた「対抗判定を繰り返して管理資源〈HPなど〉を削りあう」という戦闘システムに初めて別のアプローチを示したという点において、『TORG』はTRPG史に不滅の痕跡を残したと僕は評価しています。
 
 『TORG』が示した戦闘システムは、戦闘中にロールプレイを推奨し、またそれを演技という自己表現を越えてゲームとして無理なく搭載しました。それ以前に毎回引くドラマデッキによって、刻々と変化する戦況を再現でき、プレイヤーたちはただ漫然と殴りあうのではなく、戦況に合わせて機を窺ったり策略を仕掛けたりする、物語としては盛り上がるけどバトルゲームとしてはムダな迷惑行為でしかない演出を可能にしたのは画期的でした。
 
 すなわち、それまで神聖不可侵だった戦闘ですら「演出」という物語再現装置の機能を搭載することが可能なことを作品だってことなのです。それまでTRPGの戦闘はウォーゲームの派生である立場を堅持し、『Chain Mail』以来変わらずミニチュアウォーゲームの基幹を継承してきました。どんなに物語だロールプレイだと提唱しても、権威で以て嘲うがごとく、ミニチュアウォーゲームの伝統ゆかしき戦闘がTRPGの主菜であり、最も充実したシステムが組まれてきました。

 残念ながら、その後のTRPG業界を見る限りでは戦闘システム自体を、デザインコンセプトに合わせて基幹から変えるという野心的な作品は見受けられないのではと思います。どのTRPGでも同じように「対抗判定によるHPの削りあい」に終始しているのではないでしょうか。対抗判定を有利にする数値修正のための技能・必殺技の類ばかりが充実している点も。

 なんでしょう。
 『TORG』は登場するのが早過ぎたゲームなのだったのでしょうか。当時でも何か言葉にならないとっつきにくさというものを感じていました。一部のコアなTRPG通のみが歓迎したのみで、やがてM:tGブームの嵐にひねり潰されたのではという思いを今も感じています。

 10年前とはTRPGを取り巻く環境も、遊び手の気質も違っている現在のTRPG業界において、『TORG』は再評価が必要な反省期入りゲームの最有力でないでしょうか。
 
 などと、期待を篭めてドラマデッキを自作する予定。
 
ラベル:TORG TRPG
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2008年05月11日

夢世界の双刃剣、現実世界の巨剣 〜TRPGにおけるデータの有為無為とムダ〜

 『ソード・ワールド2.0』がプレイできません。
 人気なのです。すぐ卓が埋まってしまいます。
 でもまだ暗中模索な状態の中、タビットで戦士キャラをやろうという馬鹿は僕1人でなかったことに喜びを感じました。

 今日はこの記事から。

 Origin of Complexity(Deck of Many Thingsさん)

 きっとアメリカの中高生の間では、two-bladed swordを選んだ子がきちんとGreatswordでpower attackを選択した子にこのスターウォーズかぶれめと馬鹿にされ、セッションでDMの手によって馬鹿を証明させられ苦渋を嘗めているのでしょう。
 
 んで、日本では同じことを大の大人がやるわけです。

 僕自身、Two-bladed swordを選ぶ子かGreatswordを選ぶ子かと問われたら、Greatswordを選びます。『D&D』はそれだけ油断ならないゲームであり、最適解で挑まないことには満足に生き残れないことを、何度もHPを0にすることで学習しています。プレイヤーとして席を並べるならば、戦友諸兄にはできる限り最適解できてもらいたいです。

 それでも日本人TRPGゲーマーとしての僕は、敢えてTwo-bladed swordを選ぶ子を応援したい。DMとしても、その子を歓迎したいです。

 だって夢があるじゃん。

 同様に、Two-bladed swordなど最適解ではない武器や魔法、特技や各種設定にもそれを単なるムダと切り捨てるのは忍びない。誰もが判を押したかのようにGreatswordを持ちpower attackを選ぶ環境に何の夢があるのでしょうか。ウォーゲームに先祖帰りなのか、M:tGへの憧憬未だ醒めずなのか。
 『D&D』自体がファンタジーの聖典であり、様々なイマジネーションを遊び手に与えてくれるわけだから、最適解でないハズレな武器や魔法を使って、ハズレなPCを使ってずっこけながらもセンス・オブ・ワンダーに溢れたプレイをした方が、膨大な設定を用意したデザイナーたちに報いていると僕は信じたい。
 例えWoCのお偉方がM:tGの副産物だとしか考えてなくっても。

 そんなに最適解だけ良しとするのなら、ぶ厚いルールブックなど有り難がる必要などどこにありましょう。コミケのカタログみたいに必要箇所だけ破り取って、残りは古紙回収に出すがよろしい。そんでもって、また文庫版にして出せばよろしいのでは。

 まぁ、『D&D』の伝道者たちも情報強者ぶりを誇ってヲタク貴族さながらにふんぞり返れる環境じゃないてのは理解できます。結局、データのパズルを読み解いて強キャラ楽しむ遊びを好む人は、何だかんだ云って『アリアンロッドRPG』に流れていると思います。

 実際、『D&D3.5e』プレイしてても、そんなデータパズルにこだわるデュエリストな人と出会うことはあまりなく、かつて一時代を築いた『D&D』を温故知新として知りたいという遊び手としては初々しい人にはよく出会います。彼らはファンタジーの原点としての『D&D』に触れたいのであって、伝道者たちが望む一級のウォーゲームとしての『D&D』ではない。その意識のズレが『D&D』の敷居を高くしている一因なのかもしれません。
 
 ムダな遊びを許容できないようではTRPGの多様性ある文化を享受できないでしょうけど、僕が実感する限りでは『D&D』の伝道者たちの間にはムダな遊びを許容できないイライラ感をひしひしと感じるのですよ。真剣勝負ができない欲求不満とでも云いましょうか。
 僕は鳥取レベルではそんな最適解が正しいとかじゃなくて、それぞれが楽しめる環境で、ムダもあればずっこけてもいい遊び方をしてても構わないかと思います。真剣勝負がしたい人は好き者同士集まるしかありません。TRPGという文化の中にある狭い嗜好に過ぎないのですから。

 『D&D』の伝道者たちは『D&D』を失敗することなく、正しく遊んでもらおうと必死ですけど、その熱意がかえってユーザーの範囲を狭めて業界を萎縮させてはいないかと僕は思うのですよ。

 でも、やるかやらないかはともかく、あらゆるTRPGに興味がある人は『D&D』を購入し、その膨大な設定に触れてファンタジーへの想像力をかきたててもらいたいです。実際には『SW2.0』でも『アリアンロッドRPG』でも、あるいはファンタジーではなくとも、『D&D』は物語世界を楽しむ者にとって第一級の手引書なのですから。
ラベル:TRPG D&D
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2008年05月03日

得る楽しみと得る喜び、そして合意を得るための面白さ 〜趣味文化の「喜」と「楽」〜

 
 今の時期、人気のアニメとして『仮面のメイドガイ』があります。
 そもそもがドタバタ喜劇であり、多少のお色気もあり楽しい作品と云えます。だが、確かに楽しくはあるが、別段喜びを感じたとは云えません。
 ヲタク的にはアニメが貴でバラエティが賎でありましょうけど、『めちゃ2イケてるッ!』で岡村隆史が映画PRのためとあちらこちらで落とし穴に陥る企画がありまして、移動バスの後部座席が引っくり返って岡村が熱湯プールに投げ出されるシーンはほんの数秒ではありますが、よき笑いを提供してくれました。その楽しさと、アニメを見た楽しさと如何なる差があるでしょうか。

 そして、バラエティもまた楽しさを得るが喜びを得ません。
 TV番組を観て喜びを得る場面は確かに存在します。NHKの特集やTBS『世界遺産』、テレ東『美の巨人たち』、それにディスカバリーチャンネル、ヒストリーチャンネル、アニマルプラネットなどのCATV局の番組などは観ると喜びを感じます。
 教養番組は笑いを提供しません。だが、好奇心が刺激され見識が深まることへの充実感を表現するには、僕には喜びこそが相応しいわけです。

 これら教養番組を観て感じる喜びと、アニメやバラエティを観て感じる楽しみとは別感情であり、それぞれ求める所、得る所が違うのではないのか。そして、それを疑問に思うということは日常においてこの2つの感情は混合して用いられてはいまいか…。
 
 そんなわけで、今日は「喜」と「楽」の違いについてです。

◆◆◆

 喜怒哀楽と云いますけど、このうち「怒」と「哀」は区別がつきますけど、「喜」と「楽」について、日常の中どれだけ明快な区別をつけることができるのでしょうか。

 おそらく喜も楽もゴタ混ぜにして、総体として受け取るために「面白い」という言葉を多用しているのかもしれません。趣味にしろメディアにしろ、見識したものを好意的に迎え入れる表現としての「面白い」が、あたかも喜と楽を総括する上位感情として君臨してはいないでしょうか。

 実感で語れば、「喜」は充実感、「楽」は快感であり、「面白さ」は充実感であろうと快感であろうと、物事を好意的に迎え入れる社会的態度であると考えています。
 喜と楽は自己の内面的欲求であるのに対して、面白さは社会生活の中他者との関係をつなぐために用いる外交的な言葉なのでしょう。云わば好意のコンセンサス(合意)サインとして面白さは喜と楽の感情を総括しているのです。

 僕は長年TRPGに携わる者として、その魅力を考え時に訴えてきましたけど、そのために「面白い」や「楽しい」と云う言葉を用いることに不明瞭な引っ掛かりを感じていました。
 ひょっとして、違うのではないか、と。
 
 TRPGはゲームなのですから基本的には一時的な快感、楽の感情を満たす行為です。
 だが、幻想物語を引き出すために想像力をかきたてられる物語断片に満ちたルールブックを読み、よきシナリオを提供し、よきキャラクターを作るために様々な文献・番組・ゲームを研究し知識を研鑽していき、TRPG系ブロガーとして社会に表現活動をする……。これらゲーム活動で得られる感情は一時的な快感ではなく、安定した充実感……喜びの感情です。

 しかるに、僕はTRPGに携わることに喜びを感じるのです。
 おそらくセッションで得られる楽の感情よりも高い。

 ではTRPGは面白いのか。
 セッションで相対した相手となら、何の屈託もなく面白いと云えましょう。イベントに出向くほどのモチベーションを有している人となら好意的なコンセンサスを結ぶ価値があるのですから。
 だが、こうしてBlogで不特定の読者に対して意見するならば、別にコンセンサスを表明する必要はありません。BlogでTRPGを取り上げてる限り、コンセンサスに等しい愛着・執着・粘着ぶりを発露しているのですから、好きだの面白いだのアピールするだけ媚というものです。

 だから時々、「TRPGは面白いわけじゃない」とか「TRPGは別段楽しいものじゃない」とか放言して同好の士の心を乱す狼藉を働くんですけどね。
 
◆◆◆

 困ったことに、アニメにしろゲームにしろ、ヲタク文化の多くが一時的な快感を軸にした「楽」の感情に属する趣味だということです。TRPGも然り。多くの人にとってTRPGは一時の楽しみでしかありません。

 尾篭な話ですけど、メディアの促進剤としてエロスを投入すれば業界は活性化します。エロスは生存本能と結びついて爆発的な楽の感情を掻き立てるからです。楽の感情が尊ばれる世界では、楽の極致にある興奮状態こそが悟りの境地であり、エロスは悟りを開くための神聖な行為と見なされます。
 ヲタク文化も楽の感情を尊ぶ環境ですから、自然とエロスに比重が行くものです。『仮面のメイドガイ』もただコガラシが暴れるだけのドタバタ喜劇であったなら、こうも騒がれはしなかったでしょう。

 楽の道を好意的に迎え入れるということは、興奮の極致としてのエロスや衝動の極致としての狂態、陶酔の極致としての酩酊に対してもコンセンサスをしかねない環境に身を置くことになります。
 TRPGの席でそんなラディカリストと相対するとは思いたくありませんが、やはり「面白い」と云うコンセンサスによって一緒くたにされるのは正直ご免こうむりたい所です。

 TRPGは楽の感情だけの世界じゃないから、興奮や狂態・酩酊ばかりが悟りの境地ではないのです。喜の感情から得られる充実感や静謐、共有感、ぬくもりを大切にしていきたい。
 深山幽谷に立ち入り、苦労してたどり着く絶景や神社仏閣……。あるいは書店や図書館をさまよった末の書物との出会い……。そして数え切れない良き思い出……。それらに感じる喜びの中に僕はTRPGを置いているわけです。

 世の中には楽の感情が満ち溢れています。
 その中で喜びの感情を表現し、分かってもらえるにはどう伝えればいいのでしょうか。この喜と楽が混在し、その上に面白さがある世の中で。
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